たびを




作者:花村萬月
発行:実業之日本社 2005.12.20 初版
価格:\2,800

 まるで弁当箱。1000ページの著者最大長編作品が登場した。執筆は中断を挟んで9年半、編集担当者は四人を数えるという小説作成としては相当のスケールを持つ作品である。

 一言で言うならロード・ノベル。著者が小説デビューに前旅専門誌に紀行文を寄せるライターであり、かつバイク乗りであることはよく知られているが、その著者の生身の原点に迫った作品としての渾身の書きっぷりからすると、本書はある意味でこの作家の金字塔であり、なおかつ亜流でもあるのかと思われる。

 著者はバイオレンスとセックスの描写でエキセントリックな人であり、それを展開する土壌としてミステリ畑やノワールな風土に、著者の本意ではなくても結果的に顔が知られた人である。そうした過激さが売りである著者が、自分の体験した旅をベースにして、19歳青年の日本一周旅行を書き上げたという意味では、小説化してゆく作業は、常に事実・体験という鏡があるせいで、かなり難度が高かったのではないか。

 同時に小説としての逸脱ができないほどに取り決めてしまった大プロットがルールのように存在するというのも、萬月氏としては自らに課したさぞかし高いハードルだったろう。何せ「スーパーカブを駆って日本一周を旅するひと夏の体験」の「青春小説」なのだから。その旅程という枠組みを地道に逸脱なく終えてゆかねばならないのだから。

 東京吉祥寺を出発して、静岡に向かう。紀伊半島からフェリーで徳島に渡り、さらに四国を横断して大分へ上陸。鹿児島周りで北九州に北上し、山陰をゆく。京都で一ヶ月を過ごし、その後、再び北上。北海道で全体の3割ほどのページを割いたのは、萬月氏の北海道への愛着もあってのことだろうか。その後三陸を南下し、房総半島から一路東京へ帰り着く。

 そうした旅程の中で、実に多くの道連れを青年は得る。それぞれに必死に足掻き、青年と切り結んでゆく孤独な魂がある。様々な形での旅先での交情が、青年を成熟させ鍛え抜いてゆくが、青年は旅を始める前の東京の自分の日常をその中で見直し、徐々に再発見してゆくことになる。

 こうシンプルに書くと、萬月らしからぬやたら健全な青春小説ではないか。しかし、実はその陰影の濃い筆致は、やはりこの著者でしか書けない材料で満たされる。孤独と向き合い生きるということができなかった少女の追憶がいつも夢枕に寄り添う。死と、性と、他者という緊迫。独りになったときの虚ろ。路上に走る殺意の群れ。恐ろしいまでの他人への無関心。旅の風景として点在する不思議な老人たちの表情。聴きなれぬ言葉。時代に取り残されたような、鄙び、荒れ果てた光景。そして心象風景と化してゆく追憶の果ての残像たち。

 繰り返される思い出のフラッシュバック。思い出される出会いと別れ。人間的なあまりに多くの要素をこれでもかとばかりに表現し抜いて、改造スーパーカブが日本列島を走り抜ける。啜り泣き、呻き、傷跡を拭い、孤独を抱き締める狂おしいほどの青春の密度が、ここにある。

 日本一周の達成感を1000ページの達成感と重複体験させてくれる力作。どうだと言わんばかりの物理的重さ。どこかに持ち出して読める本ではありません。じっくりと時間を用意して、この物語に向かい合ってみてください。

(2006/01/08)
最終更新:2006年11月23日 20:55