地下組織ナーダ


題名:地下組織ナーダ
原題:Nada (1972)
作者:ジャン=パトリック・マンシェット Jean-Patrick Manchette
訳者:岡村孝一
発行:ハヤカワ・ミステリ 1975.04.30 初版
価格:\470

 四半世紀前の本をインターネットで現在手に入れることのできる文化というのは、大変に有り難いものだ。本を探してまで読まないという人と、何としてでも読めるだけ読みたいというぼくのような人種と、同じ本との出逢いでも様々だとは思う。どうにもならないのは、自分の中にある熱である。読みたい本は、かつて自分が志向していたどうにも登りたい山と同レベルで、欲望の焦点が絞り込まれてしまう。年齢とともに、山やスポーツの技術と言った肉体的なものから、徐々に気持ちという部分に欲望もスライドしているのがわかる。だからこうした入手し難い本を手に入れたときの喜びには、年齢に即しただけの重さを感じる。

 ポケミス名画座と名打たれて翻訳が進んでいる古い本のなかで最近インパクトが強かったのは、『男の争い』であったが、本書『地下組織ナーダ』を読んでいて最も近距離にある作品は、これではなかったかという思いに至った。オーギュスト・ル・ブルトンの『男の争い』は1953年、本書とは20年近い開きがあるわけだが、作品の間に距離を感じさせない何かがある。

 もちろん左翼活動家であったマンシェットは革命理論に基づいて集まったチームによる誘拐事件を計画し、それは世間を騒然とさせるスケールの大きいものである。理論があり、イデオロギーがあり、その中で集結する仲間たちと、『男の争い』におけるプロ犯罪者集団とはまるで違うのかもしれない。しかし、犯罪を犯すものたちの団結のあり方を見ていると、そこに思想や時代が介在する余地があるとはとても思えない。彼らの企てを根絶やしにしようとする警察であるのか、横取りしようとする外国人兄弟であるのかはともかく、いずれにせよ苛烈な抵抗を受け、犠牲者を生み出すのが主人公たちの属するチームなのである。

 個人ではなく犯罪者集団を形成し、それが故に滅びてゆく暗黒街の哲学というのは、分けてもフランスに多い気がする。チーム同士の戦い。チームであるがゆえの犠牲と痛み。チームだからこそ生まれる義理という感覚。それらをとことん描くために物語はより凄絶に、過酷に、作られなければならない。そう言わんばかりの作品として本書と『男の争い』は兄弟のような酷似を見せる。クールで黒いアメリカン・ハードボイルドに対し、苛烈で悲劇的で、皮肉が混じってゆくフレンチ・ノワールと言った構図が見えて来る。

 新旧、あるいは米仏。ノワールの歴史を紐解こうとする場合、こうしたコントラスト、比較、そして対極にある同士の調和、差異、感化、といったものを度外視するわけにはゆかなくなる。それぞれの作家たちの関係もともかく、決してメジャーならぬところに生き延びてきた作品の系譜は、細く基調である。だからこそ、時代を越えて同じ破滅と言うテーマが繰り返されているこの文芸の方向性に、いつまでも興味を感じ、尽きることがないのだ。

(2004.04.04)
最終更新:2007年06月26日 23:20