危険なささやき



題名:危険なささやき
原題:Que D'os! (1976)
作者:ジャン=パトリック・マンシェット Jean-Patrick Manchette
訳者:藤田宜永
発行:ハヤカワ文庫HM 1983.10.31 初版
価格:\300

 パリ在住経験のある藤田宜永の翻訳による本書は、藤田宜永ファンとしての楽しみが一方にあって二重の楽しみ。これまで読んだ学研版三作は、いわゆるマンシェットのラスト3作なのだが、その前年作品に当たる本書は、それらとは少々異なる、よりエンターテインメント色の強いアクション作となっている。藤田宜永もあとがきに書いているように西部劇的色合いの濃い、マンシェットのアメリカ的娯楽作だと言ってよいのかもしれない。

 もちろん通底するのは過剰なまでの暴力と死。ただそれ以上に、ブルジョア的悪の象徴として使われるカルトと麻薬、そこに絡んで来るヨーロッパ的産物、歴史が生んだナチと言う名の悪夢。多くの悪をこれまた過剰なまでに並べ立て、ここに社会の第三者とでも言いたくなる存在の探偵が挑んでゆく。それも、ただの巻き込まれ型とも言い切れない、少々鬱屈と不平を宿したような姿で。

 探偵の背景にあるストレスはかつて憲兵であったときの歴史的産物であり、同時にパリ五月革命の残滓とも言える闘争心。あくまで第三者でありながら、市中の闘いに関わってゆこうとする職業への愛、それに色濃い疲労の影。ヒロインである知的で才能に溢れる女友達とも恋に陥るに至らず、欲望も強くなく、どこかデカダンスに流れ、時代の鬱屈に同化しているが如き日陰の存在。彼のような探偵が、本書のようなスケールの大きな犯罪に関わると、彼はそれを支えきれず、狂気を手繰り寄せるようになる。

 まるでラドラムの小説のように世界から追われ、新聞で叩かれ、四面楚歌の状況に陥りながら、どこまでもポリティカル・スリラーのようなカラーに染まらず、どこか血と暴力に餓えた闘いの中に埋めこまれるような主人公の個人的な世界。スケールの大きな悪に対して、卑小な「おれ」の一人称。感傷を廃した徹底的にストイックな文体と、熱気の溢れる脇役たち。それぞれに我が強い味方たちと、存在感溢れる恐怖の存在である好敵手。

 左翼的なものと右翼的なものの敵対構図、暴力に惹かれる血の本能。いつもマンシェットの作風を支えるそれらの要素を、一人称私立探偵小説という、これ以上なくハードボイルドなスタイルの上に展開した、極めてストレートな一作。通常のアクション小説として読んでいただいて、何ら問題ないと思う。むしろマンシェットの特色を決定づける面白さをという意味で、ピュアに味わっていただきたい一冊であるように思う。

(2004.03.07)
最終更新:2007年06月26日 23:19