眠りなき狙撃者




題名:眠りなき狙撃者
原題:La Position Du Tireur Couche (1981)
作者:ジャン=パトリック・マンシェット Jean-Patrick Manchette
訳者:中条省平
発行:学習研究社 1997.03.31 初版
価格:\2,000

 引退を決意した殺し屋というのは、いかにもありきたりの題材だ。冒険小説の世界では特に。しかし、本書は冒険小説として読み解くには少々危険過ぎるきらいのある、マンシェットの作品だ。いかに多くの読者を引き込む活劇と死闘のシーンに満ち溢れていようとも、殺し屋も脇役の一人一人も、そうでない堅気の日常を営む男や女も、誰もが少しだけ狂っている。狂気が物語をあらぬ方向に紡いでゆく。それがマンシェット的暗さ、だと言える。

 引退を決意した殺し屋とは言え、三十を過ぎたばかりだ。のっけから殺しのシーン。組織から、引退を気取られ、尾行がつき、暴力に晒され、殺し屋は逃げる。故郷にも戻る。故郷にはろくなことがなかった。殺し屋に身を投じた原因となった父の死にざま。殺し屋は故郷を出て、傭兵部隊に身を投じ、殺し屋を稼業とした。昔の恋人との再会。昔の仲間との再会。追跡者の魔の手が忍び寄り、殺し屋の後半生を思いもかけぬかたちでねじ曲げてゆく。

 凄惨な死闘を繰り返した挙句、パリに戻り、森に篭る。世界から利用される腕前。政治の論理の渦の中で巻き込まれてゆく殺しの才能。『殺戮の天使』で描かれたような、ブルジョア殺しのプロフェッショナルであった女殺し屋エメとは、だいぶ色合いが違う。より強大な組織により、便宜的に利用される捨て駒のような殺し屋だ。個人的な静謐を得ることができず、常に追い求められる存在。

 最後は政治的駆け引きで手に入れる限定され葬られた生活。不思議な終焉だ。受け続けるプレッシャーによって口がきけなくなってしまう殺し屋。銃弾を脳に受け、羊の泣くような声で泣くようになる殺し屋。死んでゆくすべての者たちの中で、累々と積まれた屍の時間が、殺し屋を内部から痛めつけているように見える。

 この非情な文体。この皮肉な平和。殺し屋を描いてこれだけ屈折させることができる作家は、マンシェット以外にはおそらく一人もいないだろう。

(2004.02.29)