ホワイト・ジャズ





題名 ホワイト・ジャズ
原題 White Jazz (1992)
著者 James Ellroy
訳者 佐々田雅子
発行 文藝春秋 1996.04.01 初版
価格 \2,600(本体\2,524)

 やっと辿り着いた。思えば壮大な物語であったこのLA四部作。作者がどの種のエネルギーを持ち合わせていれば書けるのかと思わせるほどの世界一パワフルな小説。それがLA四部作だと思う。悪を描くことにかけてはこれ以上の作家はいない。エルロイは、もはや現代のドストエフスキーと呼んでいいだろう。

 前二作の解決のつかないロス警察内の軋轢がまだるっこしくて待っていた読者だろうが、これを笑い飛ばすかのように、エルロイはテンポを一気に変えた。新しい主人公の視点でこれまでと同じロス警察内外の暗闘を描いたのだ。それも徹底的に破壊された文体で。

 文体は……そう、警察手帳のメモ書きのような文体。早い話が主人公の想念を表現目的ではなく書き綴ったようなさながら散文詩。主人公にわかればそれでいい、というようなメモ書きの内容を突きつけられているかのようなそういう文体なので、エルロイ入門者にとってはまさしく卒倒ものの作品であろう。

 ここまでは緻密にLA四部作の前三作をきっちり読んでこないと、断言してもいいが辿り着くことはできない。第一作からずっとこの物語の闇の部分を司ってきた、という意味において究極の主人公と言っても良いであろうD・S。結局は彼の宿命を知りたくって読んでいるようなシリーズなのだが、LAという血塗られたラビリンスを丹念に辿って行かねば彼には決して辿り着くことができないのである。

 民主党と共和党と言うアメリカを二分させている大勢力。差別する側とされる側。殺人の加害者と被害者。悪と正義の意識。金と暴力と自己破壊。あらゆる主題の葛藤が渦巻く50年代のロスがここに詰められてある。なぜ50年代なのか。なぜロスなのか。

 アメリカと言う国を表現しようという作家は多い。エルロイが50年代の暗黒のアメリカに捕らえられているのは周知の事実であるが、これはエルロイの到達点であると同時に、出発点であって欲しいLAの完結篇なのである。この後のエルロイの道をぼくは予想することができない。目くるめく微熱を伴ったこのような読書体験は、とにかく唯一無比である。

(1996.05.03)
最終更新:2007年06月20日 00:11