凶手




題名:凶手
原題:SHELLA (1993)
作者:ANDREW VACHSS
訳者:佐々田雅子
発行:早川書房 1994.5.31 初版
価格:\1,700(本体\1,650)



 今までの作品の物理的な長さをかなぐり捨てたこの一冊は、ある意味でヴァクス的エッセンスの凝縮された一冊だと思ってしまった。まずこの作品の質量だけど、これは短編を引き延したようにも見えるが、実は、もっと長かるべき長編を骨身だけに削り抜いた作品であるように、ぼくには思えた。

 ひとえにそれは文体の尖り具合と、冷え具合から来ていたりする。それと小分けされて括られたいくつもの断章。これらの断章が重要である以外の小説的時間を、小気味よく弾き出しているので、読み始めたらページを繰る手がおそらく大抵の読者は終章まで止まるまい。

 なので、読後感はどちらかというと短編小説の味わい。せいぜいエピソードを紡いだ中編小説程度の量。

 この作品がバーク・シリーズからどれだけ曲がり角を曲がってゆくかという興味があったのだけど、実はこの作品、バーク・シリーズからは曲がっていない。一つ平行したさらに裏側の物語とでも言おうか。さらに幻想的な影の人々の物語であった。ここで取り上げられたのは、幼児虐待やクー・クルックス・クランというアメリカ的暗黒面でもあるのだけど、そうしたものは舞台背景でしか過ぎず、主題はむしろ、その過酷さに歪んでしまった主人公たちの再生への意志の旅と言った方がよさそうな気がする。

 ぼくは主人公が探し求める女性シェラは、つまるところ「母」であると思った。バークが擬似家族の中に真実を見たように、主人公ゴーストは孤独から解放されるために、母を求めているようにしか捉えられなかった。なんか、花村萬月と似たようなところに行ったヴァクス小説……という感じが正直なところなのだ。ヴァクスが本当に社会正義として幼児虐待を小説として訴えているようには、ぼくは見えなくなった。もし真正面に構えて訴えるような正義感であったら、ヴァクス世界はこれほど魅力的ではあるまいと思う。

 驚くほどの屈折と特殊さを備えた主人公と、その世界ゆえに、ヴァクスの作品に存在感があるのか、幼児虐待にすべてがスタートすれば、このような影の世界をしか語れなくなるのかぼくはその因果関係がわからない。とにかく得意であり、徹底したハードボイルドである。

 いろいろなことを言ったけど、ヴァクス未経験の読者にはこの一冊をまずは薦めたい。バークの世界で垣間見られたいろいろな要素がこの一冊に本当に凝縮されている。ヴァクスの手持ちの道具をどれもこれも抛りこんでいながら、ストレートでコンパクトな小説だからだ。

(1994/06/24)
最終更新:2007年06月19日 22:58