ボトムズ





題名:ボトムズ
原題:The Bottoms (2000)
作者:ジョー・R・ランズデール Joe R. Lanzdale
訳者:大槻寿美子
発行:早川書房 2001.11.15 初版
価格:\1800

 なぜこの物語が一気にぼくの気持ちをひっつかんでしまうのだろう、と考えていたら、湿度の高い自然風土の中で貧しい時代に育った子供のころの自分をいともやすやすと想起させるからなのだった。そう、この作品はミステリーやサスペンスである以前に、こぼれ去っていった子どもの頃、好奇心いっぱいのあの時間へと旅立つ冒険小説なのだった。

死体や事件よりもよほど子供時代の方がミステリアスで謎にまみれている。だからこの作品で起こる殺人事件には特別なトリックなどはまったくない。フーダニットは形だけで、犯人はある程度想像できる。でもそれ以前に誰が犯人でも構わないのだ。この本の魅力は何よりもそうした謎解きというところにはあまりない。

ここで描かれるのはある家族の試練と再生の物語。長い時間の向こうにある少年時代の輝き。少年が父の物語を読みとることによってたくましく成長してゆく冒険譚。あとはすべて材料であると言っていい。しかも優れた舞台設定と時代設定による、おそろしく語り口の美味い作家による極めて精巧に作られた材料たちである。

ここのところアメリカのミステリではやたらに見かけるディープサウス。またそれらの小説中で名前を聞くことが多かったボトムズという名の低湿地。そのボトムズのしかも第二次大戦前、自然がまだ今以上に溢れかえって、未開に近い生活を余儀なくされていた時代、貧しさのさなか、呪術的なものが生き生きとしていた世紀。これらが素晴らしい舞台設定である。

そしておぞましすぎる材料群。陰惨でリアルな死骸。解剖、プロファイリングと、今のミステリを席巻する科学捜査のテクニックを、当時の慧眼だが黒人ゆえに遠慮がちな医師が展開する。現代捜査の粋をあの時代にもってゆく作者のアイディアがこの作品を読ませるミソと言える。戦前にもいたであろうシリアル・キラーをこんなプリミティブな舞台に登場させて恐怖の原風景を作り出したその見事さ。

さらに恐怖をくすぐり、冒険心をうずかせる道具たち。森に見え隠れする異形の影。アメリカヒョウやヌママムシの跳梁。人間を吸い上げるハリケーン。稲妻と洪水。奔流を渡る壊れかけた橋。どれもが少年の眼に触れる恐ろしく映るが、少年はそれらのすべてに立ち向かい大人への道を歩んでゆく。

この小説中時代と場所を表現する最もエキセントリックなものが黒人差別だ。特にクランの襲撃、リンチシーンには、遠慮のない描写を入れて読者に突きつけてくる。ある意味妥協のない描写で語る作家なのかもしれない。叙情とリアリズムのめりはりがとても激しい。

ジョー・R・ランズデール。今や、各出版社でしのぎを削って翻訳している売れっ子作家だ。量産作家であり、多ジャンル作家であるとも聴く。初めて触れたのがこの作品になったわけだが、翻訳も勝れているのか、ストーリーテリングにすっかり呑まれたという印象。とりわけラストは胸に迫るものがある。本を閉じるときにこみあげる満足感。激しく興味を惹かれる作家世界がまた一つ目の前に出現した。

(2003/04/17)
最終更新:2007年06月19日 22:31