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二進法の犬




作者:花村萬月
発行:光文社カッパ・ノベルス 1998.11.25 初版
価格:\1,238

 『ブルース』のときにも、安い値段で多くの読者に作品を読んで欲しいと言っていた花村萬月。芥川賞受賞直後にノベルスでこんな大作を上梓してくれる商売っ毛のない作家なんて、ぼくは知らない。『ブルース』もそうだったが、何せ萬月のベスト作品とも言えるような大作を惜しげもなくノベルスの体裁で……ろくでもない作品でも賞でも取ろうものならどんどんハードカバー化しようとする安っぽい版元が多い中でなんとも、文化的な粋の心を持ってくれた光文社にも感謝感謝。

 最近の萬月作品は案外無色の主人公が多い。まだ何かの色に染まっていない、自由度の高い主人公。昔はある程度暴力の世界に長いとか、不屈の反骨精神を持ったアナーキーな若者などが主体だったが、今は、どちらかと言えば異世界をルポルタージュしてきちんと影響されてゆく主人公……という図になっているようだ。

 この『二進法の犬』もそうしたわりと自由度の高い主人公をやくざ一家に配置。かつて得意としていた擬似家族あり、本当の家族あり、で世界に深みを持たせているものの、これまで片付け切れていなかった渡世人の世界を「もう一つの倫理」という視点で描き尽くしている点は、『笑う山崎』に足りなかった新しみを感じさせ、分厚い。

 二進法は0か1の世界。白か黒かの両極端。世の偽善者たちを叩き切って、悪は徹底的に極度な悪でなければいけない世界。嘘や妥協の許されない、日常的に極北のある世界。そこに生きればやくざの徒弟の道を選択しなければならなくなる。彼我の世界を往き来する主人公の家庭教師は、価値観を一度坩堝に放り込み攪拌せざるを得なくなる。冷徹なまなざしの主人公が、より冷酷なやくざにつきあう博打シーンはこの迫力がおそらく極道小説史(などがあるとすれば)に参禅と輝く名場面になるに違いない。

 そして何よりもこの作品の面目躍如たる部分は、起承転結がとてもはっきりいていること。『皆月』と言い『ぢん・ぢん・ぢん』と言い、かつて花村作品にあまり見られなかったこの小説的起承転結については、ぼくはちなみに驚愕している。この作品はとりわけ「転」の衝撃がきつく、そのパワーたるや一気に脈拍が亢進するほど。ここまでの緻密で重かった描写(ジャブ)はこの「転」(ストレート)のところでいやと言うほど利いてくる。表現という魔が心を引きずり込み、あとは疾走感。実に巧い!

 ディテールが冴える。ヒーローとヒロインに語らせる恥の感覚は途轍もなく鋭い。コンピュータを語らせる二進法の論理がどこまでもわかりやすく、人間に直結する。ただの分析で終わらない。賭博の確率論の描写然り。非常に完成度の高い小説がこうしてできあがっている。

 ここのところの安定感が嬉しい。この後二つ三つの超大作を彼は書いている。どれもがこのレベルの作品であるとしたら、実に驚異的だ。今世紀末最大スケールの和製作家になれるぞ、萬月!

(1998/12/31)