砂の狩人







題名:砂の狩人 上/下
作者:大沢在昌
発行:幻冬舎 2002.9.25 初版
価格:各\1,667

 主人公は違うけれど、脇役となる佐江という刑事は『北の狩人』でも同様の役を当てられているらしい。そちらは未読なので、そんなことが巻半ばほどで判明してしまったときに、シリーズものは最初から読まないと蕁麻疹が出るという性格のぼくはひどく哀しんだ。救いだったのは蕁麻疹が出るほどのシリーズではなく、どうもかなり独立した作品だということだ。先日、高野和明の『グレイヴディッガー』には、『13階段』と同じ人物が登場したね、と人に言われるまで気づかなかったときにも似たようなむず痒い感覚を覚えた。『13階段』は確かに読んでいたのに、全然気づかなかったからだ。

 しかし、待てよ、『砂の狩人』と言い、『グレイヴディッガー』と言い、どちらかと言えば激走型ジェットコースター・ノベル。考えてみればシリーズ小説の持つキャラクターたちへの綿密な描写などはそもそもあまりないのだ。だから登場人物のオリジナリティももともとそうは描かれていないので、思い出せないのならそれで全然かまわない。そういう風に作られた作品なのでこれは新宿鮫ではない。

 さて大沢在昌の作品ではぼくは佐久間公の最近2作が一番好きである。思い入れさえある。『雪蛍』や『心では重すぎる』が一番アクションとは離れたところでのハードボイルドらしい設定にあるからかもしれない。同じシリーズでも新宿鮫はそうシリーズとして好きな部類ではない。キャラクターが嘘臭いし、第一ぼく自身飽きてきている。古い縁なのでまあ馴れ合いでときどきお茶を飲んだりする隣近所の知人と言った存在なのだ。

 だからいっそこうした単発アクション作品というのはけっこう有り難い。映画にしたらどうやってもB級アクションにしか仕上がりそうにないが、劇画にしたらそれなりに行けそうな小説としての警察アクション。心に傷を負って引退しているところに古巣からお呼びがかかっていやいやリバイバルしてゆくなんていうのは、もうとうに黴が生えて臭すぎる設定のはずなのに、なぜか何度味わってもこのオーソドックスこそが楽しい。

 また薬でおかしくなった連中にフィリピンで武装訓練させて冷血な殺人集団を育てていざと言う場合に呼び寄せるというまさに無国籍で何ともゾクゾクするような設定。一見軽薄な劇画タッチを、リアルな小説体裁に刷り込んでしまう技術。また、そういう面白志向といったものへのポイントを逃さないところが、大沢を売れっ子作家にしている所以だろうなあと実感できる。

 新宿という、今やハードボイルドにとってはなくてはならない活劇の街を生かすのは多くの作家たちだが、その中でも大沢はとりわけこの時代風景とも言うべき魔都を、まさに水を得た魚のように作品の舞台構築の材料として駆使している。多くは読んだ後忘れてしまう一過性の面白さであり、またそれを作家も覚悟しての作品なのだと思われる。初出誌がいわゆる小説雑誌ではなく、サンケイスポーツというところで心得、書き分けているのだろう。大衆小説としての職人技を味わう、ってことでおそらく正解なのだろう。

(2002.11.30)
最終更新:2007年06月17日 22:42