夜を撃つ




作者:花村萬月
発行:広済堂出版 1996.8.15 初版
価格:\1,800

花村萬月の作品にいちいち感激していたのは初期の頃のこと.。『笑う山崎』『セラフィムの夜』あたりを最後に、これはと思える作品がなくなってきている気がする。その最たる理由は、作品が金太郎飴化していることで、どこを切っても同じ色、同じ形、同じ描写。主題はあいもかわらず暴力と性。家族が崩壊したところから始められる擬似家族も、もう既にお馴染みのフォーマットのよう。

 そんな萬月作品を何冊読んでもとりわけ新しめのものは出てこないとわかっていながら、また読んでは項垂れるのが、このところのぼくの状況。それでも読んでしまうのは、この作者の、他に真似のしようのないようなオリジナリティであり、情念の深さであり、過激さなのであると思う。そういう強烈なパワーに引きずられて一冊も読み残すまいと、期待に飢えている萬月ファンは案外多いのじゃないか?

 さて本作は、出だしはおやと思わせるのだ。まずこの作者、一人称小説が多い。たとえ三人称だとしても三人称単数の視点で書きつづってしまうことが多い。それがこの作品、三人称でありながら、視点が三つ。三人の主人公の視点から書き分けている。こういうのは萬月の場合珍しい。記憶をまさぐっても、『眠り猫』の一部、二部の視点の変換くらいしか、ぼくには思い当たらない。しかも『眠り猫』には視点を移動しければならないプロット上の断固たる理由がある。

 この作品が三人の視点から描かれているところには、だからぼくは期待をしたのだ。しかもうち二人は刑事である。事件、犯罪、刑事、そして客観的な視点の移動。ううむ、作者と作品との間に珍しくコントロールされたインテリジェンスを感じるではないか。と思ったのは最初だけ。やがては、いつものぐしょぐしょの濡れ場とタブーの破壊、血まみれの清算と混沌。こんなものが、エルロイの狂気のようでもなく、あくまで萬月風に、終わってゆく。

 初めて萬月作品に接する人にとってはけっこう過激で印象強い作品となっちゃうのかもしれないが、ここまでずっと萬月に付き合ってきた読者にとっては、ため息を禁じ得ないようなプロットに成り下がっているように思う。過激なプロットのほうが退屈するという現象もあるのだな。

(1996/11/07)
最終更新:2006年11月23日 20:41