評決のとき



題名:評決のとき (上・下)
原題:A TIME TO KILL (1989)
作者:JOHN GRISHAM
訳者:白石朗
発行:新潮文庫 1993.7.25 初版
価格:各\640(本体各\621)

 グリシャムの最初は売れなかったデビュー作であるという。だからと言うわけではないのだろうが、ぼくには、これを読むとグリシャムの長所も短所もよく見えて来る、という本であるような気がした。

 長所というのは、リズムに乗ったときのストーリーの急展開であり、その淡々とした描写の妙。読み始めるとなかなか本を手放せなくなるというのは、今やアメリカでベストセラーになるための必須条件であると思うが、この作家は間違いなくその部類であると思う。

 ただし短所ということで挙げておきたいのが、作家自身が法律に携わっていたことが原因であろうが、その辺のリアリズムの加減のなさ。少しうんざりするほど、煩瑣な法律関連の書きこみが多いのである。『法律事務所』の前半部でぼくが退屈に感じたのはこの部分であった。『ペリカン文書』で一気読みできたのはその煩瑣な描写が最低限に抑えられていたからだ。

 さてこの本の面白いところは、その両面の整理がついていないところである。

 リズム感と、リアリティを狙った繁雑な書きこみというのは、なかなか相容れないもので、このバランスをどう加減するかと言うところに苦慮しているのが現代アメリカ作家たちであるような気がする。パトリシア・コーンウェル、トマス・ハリス、ディヴィッド・リンジィとリアリティを売り物にした作家たちの必ずぶつかる問題であり、これをクリアしたところで、大多数の読者が飛びついて行くのだと思う。

 そういう意味では『評決のとき』は妙なリズム感を持った小説であるかと思えば、単に経時的にドキュメンタルにひとつの判例を綴った繁雑な小説であるとも思える。両者が渾然としていて、今ひとつ小説らしさが抜けているようなところがあるのだ。デビュー作だから仕方がないと言えるのかも知れないが、作者はこの作品が一番好きであるらしい。そういう意味ではグリシャムの一番の力作は本書かもしれないな、と思えるところがある。

 最低限のネタバレ範囲内で言うと (裏表紙等で紹介済みの範囲内)、事件そのものは、娘を強姦された父親 (黒人が) 裁判所内で強姦犯二名 (白人) を射殺したというもの。 これを主人公の若手弁護士が引き受け、 南部の街は黒人デモ隊と KKK団との真っ向対立を迎える。謀殺が相継ぎ、リンチが相継ぎ、アメリカ中が騒然となる、というものである。

 基本的にいやだったのは、相継ぐ謀殺には作者があまり眼を向けず、どちらかというと主人公の弁護士の生活面にばかり注意を向けている点。エピソード群にあまりフォロウがないため、所詮は生煮えのストーリーで終わっているのがどうにも解せなかった。逆に主人公が勧善懲悪の善人ではなく、売名と正義とに腐心している点、作者の分身だと豪語するなりのことはあってなかなかリアルであったと思う。この点は買ってもいいだろう。

 いろいろな面で粗削りだが、ぼくには『法律事務所』以上に楽しめた。この作者にして唯一の法廷ものである。

(1993.09.04)