夜光虫






題名:夜光虫
作者:馳星周
発行:角川書店 1998.8.25 初版
価格:\1,900


 坂東齢人という男は、馳星周という新しい名前とともに新しい作家人生を手に入れた。馳星周という作家は、『夜光虫』という作品とともに現代のハードボイルド小説の主流の名を手に入れた……のではないか、とぼくは思う。

 確かに『不夜城』と『鎮魂歌』は、日本暗黒小説史上類を見ない独自の娯楽性にとんだ文体と、中国闇社会という発想そのものの奇異さとでもって、和製ハードボイルドの流れに深いナイフの刃を刺し込んだ。すぱりと切れる鋭利なナイフだった。
 しかしそれは鋭利なだけに、融通が利かなくって、とてもストレートで、短時間に、すっぱりと切れ過ぎた。人は、どちらかと言うと、少しナマクラであっても、こってりと時間をかけて叩き潰す、って方法を好むこともある。

 『夜光虫』は、前作までの疾走感覚はそのままに、こってり味の家族的因縁をたっぷり煮込んで加えたコクの強い作品だと思う。馳星周は船戸的世界に近づいたな、というのが第一印象。船戸的世界というのは、ぼくの中で、原始的神話の世界。ユング的象徴とアニミズム信仰とが、暗黒の世界で人間たちの血のスープを作り出す。こことは違う場所。闇の奥。

 強烈な怨念・復讐・宿命のもとに人々を配し、台湾という「ここではない場所」を舞台に、エキゾチシズム漂う暗黒世界とその古臭い物語を紡いでしまう。幾重にも重なった欲が、主人公を袋小路に追詰め、運命が出口を塞いでゆく前半。複雑に絡み合った血縁・地縁の謎をじっくりと解いてゆくような後半。大きな物語。

 ここまで書ける日本人作家はあまりいない。馳星周が日本のハードボイルドを引っ張ってゆく一人者になったことを強烈に感じた。巷では中国系以外のハードボイルドを望む声もちらほらと聞こえている。でも香港映画が好きで、名前まで中国映画のスターをもじってしまった人が、今更中国以外を題材にしてどうするって気もする。

 題材はともかく、まだまだ大きな変わり身を見せてくれそうな予感が、この作家からは匂ってくる。この作品のような丁寧が仕事をきちんとしてくれていれば、作品はさらにぼくらをどこかに駆ってくれるし、ぼくらは作者が最も欲しがるであろう言葉「とても面白かった」を世界に囁き続けるだろう。

 正邪などという次元を遥かに越えた新しい価値感に基づいた、新しい娯楽小説。世界で今、ぼくの関心を引く作家たち。馳星周はそうした作家たちの仲間入りを堂々果たしたことになる。

(1998.09.13)