柔らかな頬







題名:柔らかな頬
作者:桐野夏生
発行:講談社 1999.4.15 初版
価格:\1,800


 要するにこれも『OUT』なのである。ただし裁かれるOUTとでも言おうか。OUTのつけをどう支払ってゆくかの物語とでも言おうか。前作が「動」であるなら、本作は紛れもなく「静」である。さらに深く深くOUTのその後、その行方にまで光を当てた作品とでも言うべきかもしれない。

 静は静なりに仕掛けもまた多い作品でもある。

 主人公のカスミの思いの対象が、物語の中で変遷する。いかにも女にもてそうな石山という言わば俗物に近い人物(彼自身その後変遷を遂げるのだが)から、「イエスの方舟」の教祖を思わせる緒方という老人を経て、ガンで死につつある刑事・内海へと移ろってゆく。肉体的な欲望の対象である石山から、その肉体性を極力排したような緒方、そして肉体の滅びを迫りくる死で体現したような内海へと……。肉体のつけを精神が支払う、といった仕掛けになっている。

 水……に象徴されるものが多い。タイトル構成はこの通り。

 「終車」「水の気配」「漂流」「洪水」「浮標」「水源」「桟橋」「遡航」「放流」「砂岩」。

 スタートとエンドを除けばすべて水に関連しているのが明らかである。人名を見ると内海、水島、豊川、和泉、浜口……これは気のせいかもしれないけれど。

 ともかく出発点は海しかない小村。まさに母なる海からのOUTが始まる。しかしOUTのその後、どこまでも水の気配から離れることのないカスミの人生ということを感じさせる。大量の水の気配から遠くに逃れるのに、どこかでいつまでもそれを重く抱え込むカスミがいる。

 事件は最初から提示されている。5歳になる女の子が支笏湖畔にある別荘地帯で突如行方不明となる。母親であるカスミは、かつて海辺の村から家出、自ら母の前から姿を消してそのままずっと縁を断っている。自分が娘の時代に選んだ行為が、母になった今まるで復讐のように帰ってくる。「宿運」とでも言いたくなるような呪わしいこの回路も、小説の重要な仕掛けである。

 また登場人物たちによる多くの空想を読者は追うことになる。どれもが事件の真相を求める空想でありながら、むしろ想像する者の側の生を浮き彫りにしているように見える。事件は解決されるべき主題ではなく、むしろこの小説の状況を構成する大きな要因でしかない。

 子を失った者。離散する家族。希望を捨てられぬままさ迷う者。死にゆく者。逃れる者。さまざまな修羅的状況が、人間たちを異様に研ぎ澄ませる。徐々に肉体性を失い感覚を鋭利にしてゆく小説全体の流れは、死病に取り憑かれた内海の、削げ落ちてゆく肉、または逆に敏感に砥がれゆく感覚そのままである。

 「死ぬまでに男の想像力は真実に到達できるか。」

 と帯にある。ある意味では想像力で構成された物語でもあるのかと思う。迷い、滞り、あるときに急速に流れ、形を変えてゆく水になぞらえられた小説である。

 魅力的な登場人物はほとんどいないのに、読み進むうちにそれぞれの魂の持つ修羅の姿を肯定できるような気持ちになってくる。不思議な魅力を持った本だと思う。

(1999.05.05)
最終更新:2007年06月17日 18:33