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冒険の国





題名:冒険の国
作者:桐野夏生
発行:新潮社 2005.10.01 初版
価格:\362




 西岸良平のコミック『三丁目の夕日』を読んでいた時分には、あまりにも遠くに存在する昭和三十年代がやけに懐かしく、その頃幼かった時分の瞳に映っては消えてゆく人間模様が、改めて蘇ることそのものが何故か貴重でたまらず、それなりに心の深い部分をまさぐられるような気持ちの不思議さに呆然としたものだ。

 その後、時分の生きた時代を本当に語られた気分になるようなコミック、小説にはあまり行き当たらない。生活とは距離感のある小説を読むことが多いせいか、自分のある時代を切り取って、同心円上に描いて見せたような作品というものには、本当に行き当たらなかった。

 その意味では本書は、貴重である。就職して直後の最も不確かで価値観に揺らぎを感じていたぼくのあの時代、その同じ時代に、同じような不確かさに捉えられながらも、日常に絡み取られるようにして、若くして逝ってしまったある男の記憶を共有する男女が、決して感傷的にではなく、ドライに、そして桐野夏生らしく、非常にクールに、何かを少しずつ見つめてゆく物語。

 作者の処女作は、決してミステリーではなく、むしろ作者等身大の女性が、古くて新しい町に日々を営むだけの、それでいて多感極まりない小説である。今もミステリーの殻を破ってばかりいる作者は、この時期からジャンル度外視のアウトローぶりを見せつけてくれるのだった。

 全体にストーリーはないのだが、何気ない日常が、こちら側に通じていて、同じほの暗い洞窟を探検した思い出を共有しているかのような錯覚にいつか知らず陥ってゆく。未成熟で、欠損した感覚のある小説にしか持ち得ない、柔らかな存在感に満ち溢れた、この作者ならではの切り捨て、置き去りにされたような世界が、ここにある。

 ぼくとしては『柔らかな頬』に通じる、ある種の不在感覚(欠損感覚)こそが、この作品の注目すべき地点であるように思うのだが……。

(2005/11/14)