痕跡





題名:痕跡 (上・下)
原題:Trace (2004)
作者:パトリシア・コーンウェル Patricia Cornwell
訳者:相原真理子
発行:講談社文庫 2004.12.15 初版
価格:各\714

 前作『黒蝿』で未解決だった事件はひとまずさておいて、元の検屍局を中心に展開する科学捜査ミステリーに戻そうじゃないかという作者の意図が見え見えである。いつも最後に収集がつかなくなって後回しにするから、その後の始末はさらに先送りにして、こうして本来書きたかったはずの捜査ファイルを挿入しなければならなくなる。

 もっともこのシリーズのメイン・ストーリーは事件ではなく、登場人物たちのその後の消息について語リ続けることなのかもしれないけれど。ケイ・スカーペッタに加え、今や若さでも美貌でも能力(経済力も含め)においてさえヒロインを食おうとしている姪のルーシー、ケイとの間でやたら屈折した恋愛をとりあえず継続させているようないないような存在のベントン、さらに不健康の塊みたいな存在でありながら読者人気がきっと高いであろうマリーノ。本書ではニューキャラとしてルーシーの片腕的存在であるルーディというもう一人の天才が活躍してみせる。

 ケイの一人称だからこそ存在していた作中の感情表現は、前作より三人称文体になったことにより、むしろ各方面に分散し、ルーシーとルディ、ルーシーとマリーノ、ケイとベントン、ケイとマリーノ、そしてルーシーとケイとそれぞれどう見ても四人の個性のバトルロイヤルといった風情が強い。事件をさておいて、これほど有能な四人が、なぜどいつもこいつも心情的に不安定でストレスを抱え込んでいなくてはならないのだろう。

 エド・マクベインの刑事たちの中ではあまり表現されないたぐいの会話による衝突、イライラ感などが、やたら顔を出すのも、不思議なことにこのシリーズの人気の一つなのだろう。現代アメリカンは少しばかり精神的に苛立っていて、精神科医のもとに通う必要があって一人前、あとはスラムの頭の悪いガキといった世界観でもあるのだろうか。スラム出身で頭がよくて腕っ節も強く趣味もいいのは、スペンサーに出てくるホークくらいなものではないだろうか。

 どうもアメリカ人の書く作品によく見られる無意識的ヒエラルキーみたいなものが、独特のカルチャーというものを作り出していて、その中で精神分析や訴訟で何もかもすませてしまうようなヒステリックな傾向を装いながら、けっこう好きでやらかしているような胡散臭さも感じないではない。ダイエットやサプリメントは、ドーナツやコーヒーに砂糖を二杯?三杯といった自由へのブレーキの文化だ。

 そうした文化(本当に文化か?)の坩堝の中で、あくまで病んだ主人公らが病んだ犯人を追い詰めるのがこのシリーズの特色でもあるのだろう。ともあれ普通の化学分析捜査が普通のサイコな犯人を追い詰めてゆく、久しぶりに地味な事件だ。国際謀略よりも本来はこうした地平で物語を続けてゆけないこともなかったろうに、作者のサービス精神がこのシリーズのすべてをハリウッド映画みたいなものに変えてしまったのだ。この先の作者の責任の取りかたが見たいばかりにこのシリーズを読んでいるという気がする。そんな状況下にありながら、本書は十分に楽しめた。ひさびさのまっとう作品ではなかったか、とぼくは思う。

(2005/01/30)
最終更新:2007年06月17日 14:22