地下鉄(メトロ)に乗って






題名:地下鉄(メトロ)に乗って
作者:浅田次郎
発行:徳間書店 1994.3.31 初版 1995.4.20 2刷
価格:\1,500

 大人向けのファンタジーと言うべきか。浅田次郎という作家が、仮にお笑いの要素を突破らってもまだまだ残るものの多い作家であることは、『プリズンホテル』シリーズのような陽気な笑いに満ちた作品の読者にもしっかり想像できることと思う。その一面をのみ切り取ってみせるとこういう浅田次郎の断面を見ることもできる。

 故稲見一良という作家は晩年に多くのファンタジーを書いているが、大人向けのファンタジーというのは、どんなに理屈の通らない勝手な作りであっても、それでも感性に訴えてくる。そのときの感動に近いものを、美しく、幻想的に、しかしあくまでリアリズムに立脚した視点で描いているのが、あの稲見一良であったし、その再現を思わせてくれる作品が、この『地下鉄(メトロ)に乗って』ではないかと思う。

 ぼくの稲見一良好きを知っている人にはこれは最上級の賛辞だということがすぐにわかっていただけるかと思う。

 ぼくの子供時代の昭和。特に東京オリンピック以前の東京の風景というのは、ぼくの中でとてもとても遠く幻想的な遠い過去だ。力道山のプロレスを街頭テレビで見るために父の背中に乗っていた自分や、埃っぽく狭く自動車などの滅多に走ることのない道を板塀だけがずっと連なっていたあの迷路のような東京の下町の裏道や線路っ端をぼくは未だに忘れることができないし、なぜあれらの風景が急速に失われていったのだろうと、つくづく残念に感じるし、途方もない郷愁と喪失感とが、その時代を思うたびに、ぼくの心に風となって吹きすさぶ気がする。

 そういうすべての郷愁と喪失感とを胸に抱く人には、これは特別な本であり、大事に抱えていたい物語であると思えてならないのだ。

(1996.07.13)
最終更新:2007年06月05日 00:05