プリズンホテル春



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題名:プリズンホテル春
作者:浅田次郎
発行:徳間書店 1997.1.31 初版
価格:\1,700

 これを読んだのはもう一年近く前。春まだ遠い北国生活を初めて間もなくの頃であったと思う。もともと浅田次郎はこれからも読もうとなったきっかけが、『プリズンホテル』と『地下鉄に乗って』。どちらも理屈ではなく感性でぼくは好きになったし、何ともレトロな雰囲気や、会話体による引っ張り方の巧みさ、そして小説そのものの持つ絶対的な「優しさ」というものが、今のささくれ立った時代に最も在って欲しい本たちだった。ぼくにとってはそうした要素は極めて大切なことに思われたのだった。

 ましてや『プリズンホテル』は、誰にでも読める本であった。普段活字なんて読むことがないという人にだって気軽に薦めることができたし、それなりの面白さ・楽しさを共有することができた。もちろん読書が好きな辛口の人たちにも、この作者のオリジナリティそのものを作品を通して感じ取ってもらうことができただろう。

 こうした普遍性が、いいのだと思う。肩肘を張らず、庶民の読み物として最も親しみやすい散文形式で開始された「小説」というものの持つ最大の力であるのだと思う。

 『プリズホテル春』は、シリーズ完結編ということだから、読んでいても別れが惜しまれてならなかった。顔立ちまでが思い浮かぶほどにデフォルメされ描き分けられた、数多くの登場人物たち。ホテルの悪趣味なロビーや、厨房、客室。まるで自分がそこに何度も宿泊したかのような愛着を感じる舞台そのままに、別れのすべてに未練を感じた。

 シリーズ四冊を通してメイン・ストーリーのようなものは、あったことはあったが、屈折した主人公の側の物語は、これまで小出しにされて、結局最後までまとめられることがなかった。そして大方の予想通りに、このメインストーリーが大団円を迎えるのが、この本であり、シリーズ中、もっとも情と涙腺に訴えてくる一冊となっている。

 人の感情である「優しさ」や「悲しみ」を、文章で操ってしまうようなこうした本は、嫌いだと言う人は確かにいるだろうけれど、ぼくのようなだらしなく感情に身を任せるタイプの人間には、逆にむしろ馴染みやすいものだ。いろいろな感情に身を、心を揺すぶられて、何だか若かりし頃にあったかもしれない感受性の豊潤さみたいなものが、未だに、わずかなりと残されていたことに、改めてほっとさせられたりもするのである。

 いわば、こうした「感性の原点回帰」のような療養効果をもたらす類の本として、浅田次郎は、実に気持ちのよい、心地のよい、小説という魅力的なものの書き手であり続けて欲しいと思う。

(1998.01.11)