活動寫眞の女






題名:活動寫眞の女
作者:浅田次郎
発行:双葉社 1997.7.25 初版
価格:\1,700

 ページを開いた途端に現実からがたりと乖離できるような、こうした読書感覚を覚えさせてくれる本が、いったい今の世の中にどれくらいあるだろう。ぼくの方の感性が鈍り始めているかもしれないことをこの際差し引いても、今の書店には、ぼくが青春時代よく足を運んだ図書館や書店のような、本たちの向こう側にある奥行きというようなものが、あまり深くは感じられなくなっているような気がする。

 かつて国内産ミステリーというものがそんなに多くなかった時期、ぼくらは数は少ないながら、もっと多くの浪漫性のある作品に触れていたような気がする。我々の日常生活とはかなり隔たった時空の物語たちであるゆえに、我々の日常にまで深く深く侵入してくるような何ものかを孕んでいた物語たちであったような気がする。

 そうした懐かしい感覚を、この本は少なからず蘇らせてくれた。まるで、この本の中で扱われている、昔の「活動寫眞」たちのように……。「昔の活動寫眞は良かった」というセリフ代わりに、「昔の小説は良かった、猫も杓子も薄っぺらい娯楽本を量産するっていうんじゃなくって、あの頃は、きちんと<もの書き>が<もの書き>だった。<もの書き>以外に脳のない人間たちが、ただただ面白い本を、夢中になって書いていた」とでも言いたくもなるような種類の本、それがまさしくこういう作品なのではないだろうか。

 浅田次郎は映画にかぶせて、自らの、小説への愛着を、同じようなセンチメンタルな胸のうちから物語りたかったのではないだろうか。

 この作品は一言で恋愛小説や青春小説とも言えるかもしれないが、それだけではやはり足りなく、レトロ・ファンタジィ的なジャンル性を持っていると言っておきたい。『鉄道員(ぽっぽや)』に見られるような、超常的な素材を用いているのに、掟やぶりなストーリーだとは単純に言い切れない、ノスタルジィたっぷりの物語。やはり『地下鉄(メトロ)に乗って』とペアで読んで欲しい本ではないだろうか。

 最後に、この小説を映画化するとしたら、監督は誰がいいか。ぼくは読みながら考えていたのだ。「日本のジョージ・ロイ・ヒル」と、ぼくが勝手に名付けている大林監督にぜひともお願いしたいところである。ぜひともレトロ情緒たっぷりに……、映画への深い愛着を胸いっぱいに抱いて……。

(1998.01.11)
最終更新:2007年06月04日 23:25