月のしずく





題名:月のしずく
作者:浅田次郎
発行:文藝春秋 1997.10.30 初版
価格:\1,429




 ぼくは日本作家の短編集というのはけっこう好きなのだが、それは日本語による小説としては、海外小説の短編集というのは違った意味で、短編はある一つの完成された形式のように思えるからだ。読む側としてある種の安心感を持たされると言おうか。ストーリーそのものを楽しむというよりは、奇麗な額縁を与えられて壁に整然と並べられた、数枚の絵を鑑賞するかのように、ぼくは楽しむ。

 最近の国産短編集の作りは、稲見一良『ダックコール』あたりからこちら、なかなか作者と版元の意志統一がなされてきていて、それなりの短編集ならではの「味」というものを持ち始めているように思う。雑誌のあちこちに掲載された短編を無造作に束ねたというのとは、ここのところ少し違ってきているような気がするのだ。こうした短編集は逆に海外にはあまりないから、日本の出版事情の中でもこれだけは、少しだけぼくらも誇らしく思ってもいいのかもしれない。

 先の短編集『鉄道員(ぽっぽや)』は、どちらかと言えば、優しい幽霊たちの話で統一されていたように思う。超常的な設定を持ちいて、なおかつ情感溢れたものとする。この種の設定は稲見一良の名短編『花見川の要塞』などに通じるものがありそう。もちろん『地下鉄(メトロ)に乗って』『活動寫眞の女』もこの超常的な素材を長篇に生かしたものである。

 この最新短編集は、そうした超常を素材に用いず、さらに地味に……と言ってしまうと身も蓋もないが、地味は地味なりに「一期一会」とか「邂合」と言った言葉を想起させた実に素敵な作品集であると思う。

 人と人の出会いそのものがひとつひとつが、ただならぬドラマであるのだ。そうした世界中に散らばった無数のドラマの中に、作者は想像の翼をはためかせてこうした作品たちを物語る。ぼくは浅田次郎はそうした、小説家としての極めて正当な資質を持った現代の語り部だと思う。本書は、そうした資質のいくつもの断片が、言葉となって美しくきらめいた作品集であるような気がする。

 ドストエフスキィ『白痴』のムイシュキン公爵を思い出させられたほど、純粋な優しさ。そうしたものをどれだけの作家が描けるだろうか。そうした、人間の濾過された愛情の有り様を、どういう形で表現できるだろうか。その人間が純粋なのではない。虫けらのような社会生活の中でも削られない何ものかを懐の深いところに持ち続けられるかどうかが、この作品集を貫く浅田次郎の美学なのだと思う。

 人間の、とても弱い部分と、決してなくならない部分とをが、削り出されるような一瞬。そうしたきらめきをいくつものイメージにして描き、捉えた……やはりぼくにとっては大変に好きな作風、好きな本なのであった。

(1998.1.11)