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椿山課長の七日間






題名:椿山課長の七日間
作者:浅田次郎
発行:朝日新聞社 2002年10月1日 第1刷発行
価格:1500円

 死んでも七日間はまだ霊は現世とあの世との間をうろうろと彷徨っている、なんて言う意味でぼくは初七日というのを理解している。その間に残された遺族の側は、挨拶やら遺言やら届出やらと葬儀の後のあくまで現世的で現実的な経済の仕組みの中でばたばたと慌しく動き回らねばならない。そんな忙しくも圧倒的に感情や理性が沸騰するような七日間の、これは物語である。

 ただし主人公(たち)は死者の側。この世にやり残したことがある三人の死者が、姿をうつしみの他人に変えて、死者の弔いの場に現れ、正体を曝すことなく思いを遂げてあの世に帰ってゆくという話である。

 死そのものやあの世の描写のあっけらかんとした明るさは、浅田ならではの優しさか。そして現世に残した者たちから、生きているうちには知ることのなかった多くの真実(つまり死者への愛)を汲み取ってゆく。期限付きで蘇りを認められた死者たちは、幾ばくかのものを彼らに返し、永遠に不在になることを詫びるためにこの世を再訪したわけである。こう書くと、あくまで楽天。ヒューマン。あくまで情と情とのせめぎ合い。つまり浅田節というやつである。

 ここのところ短編よりも長編に元気の見られる浅田次郎。本書は何気なく誰もが自分の突然過ぎる死を想定した場合に考えつくような他愛もないストーリーなのだが、それだからこそ、死への用意をしていない日常がかえってよく見えてくる。不思議な仕掛けだ。

 主人公はデパート店課長、昔かたぎのやくざの親分、無垢な子供の三人。いずれも唐突に死を迎え、戻る現世で三つの物語がモジュール式に絡み合い、それぞれの宿命を承服してゆく七日間。少し思いもよらぬラストに戸惑うけれども、あの世は天国に行く人ばかりという浅田楽観節が三通りの死の苦痛をここでは癒してくれている。しみじみと読み、笑って泣ける初七日の物語である。

(2002.12.12)