輪違屋糸里


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題名:輪違屋糸里 上・下
作者:浅田次郎
発行:文藝春秋 2004.05.30 初版
価格:各\1,500

 新選組ものは大抵読んでいるが、ひねくれ流浅田新選組に関しては、同系列ではなく別の読み方で迎えたほうが正しいかもしれない。『壬生義士伝』を書いた浅田節は、涙を誘う田舎侍の哀感溢れる物語で、中でも故郷を思うノスタルジーと戦火の残酷が対比され、どちらも国の貧しさの中から立ち昇った運命ともいえる世界構造の中で、選択の余地なきにわか侍の、翻弄され、人間らしくあり続けようという無力ばかりが目立ってならなかった。

 その同じ浅田節が今度はどのような唸りをあげるか楽しみにしていたが、こちらでは新選組と関わってゆく女たちの視線で、壬生の初期時代を描いている。女性小説と読めないこともないくらいに、女の人生観からフィルタリングされた幕末史なのである。時代は芹沢鴨の暗殺までのごくごく初期のステップであり、京都はまだまだ大きな火の手が上がりきっていない。新選組が「壬生狼」として無頼、人斬り、田舎侍としてのネガティブな存在感で迎えられていた時代のことだ。

 ぼくの場合、実は、女たちから見た歴史小説というだけですっかり気持ちが入らないのであるが、そこには新選組という物語の背骨としてぼくが司馬遼太郎の『燃えよ剣』を土方流美学として採用してしまっているからなのだと思う。本書では土方はむしろ策士であり、殺人者であり、個人主義者であり、とにかく悪役である。既存の幕末小説で必ずといっていいほど悪役として扱われる芹沢一派にスポットを当てた本書のような視点は珍しい。その上、ある種の説得力として女たちの感性から見つめた芹沢像というところが本書で浅田節が担った新機軸なのである。

 例によって長編小説としてのリズムの悪さはいつもの浅田流であり、どこまでもエピソードのキルティング加工で終わるのかと思いきや、下巻に移ってからは歴史的ミステリー、とりわけ新見の切腹の一件から芹沢暗殺計画に至る下りや、お梅を追い詰めてゆく菱屋の裏で進行する謀略、とどちらもいわゆる浅田らしくないプロットの練度の高さが、本書を複雑でノワールじみた空気(特に沖田の独白部分などは昏い!)に変えている。

 お涙頂戴のシーンはほとんどなく(雨の中で五郎を追いかける吉英のシーンはちとじーんときますが)、むしろ諦念や悟りに近い、この時代特有の人間たちのたくましさ、あるいは無常観といったものの方がシュールに立ち上がって見えてくる。浅田にしては情に流されずよくぞここまでハード&タフな作品を仕上げてみせたものだと思う。それがうまく行ったのも、男ではなく女たちに感性のベクトルを合わせたからだと思われるあたりが、すごく説得力があったりもする。

 男たちの女々しさに対し、女たちの生命力、潔さなどが、やけにに浮き立って見えてくる、少々怖い作品なのであった。

(2004.11.14)