半落ち






題名:半落ち
作者:横山秀夫
発行:集英社 2002.09.05 初版
価格:\1,700

 今ごろ、ようやく読みました。三月に図書館で予約して、今、です。この作家の人気が窺えるというもの。

 「なるほど!」というのが読了後の感想。これじゃ身も蓋もないけれど。

 でもこの本を読まないと、直木賞選考委員会での議論のニュースに接するわけにはゆかないわけので、ぼくは早く読んでしまいたかったのだ。つまり一体、林真理子が何を「あり得ない」と主張して横山秀夫の受賞を退けたのか、またそれを受けた横山秀夫はなぜ直木賞ノミネート拒否宣言をしたのか、ネタばれに接せずにはわからないのである。その議論内容が重要なネタばれになってしまっているのだ。だが、実のところ読んでいるうちにこのネタ、早々に検討が付いてしまっていたぼくなのであった。なあんだ、やっぱりな、というさほど難しくはないネタであり、主人公の性格・境遇から言って、全然意外でも何でもないごくごく自然のものなのである。

 横山秀夫という人は本格ミステリのカラーも持っている人なのだが、仕事師たちの葛藤を描かせるとより巧いのだなと、『第三の時効』と本書を読んだ限りでは思う。ほとんどの人間がワーカホリックで権力闘争の渦中にある。まるで和製チャーリー・マフィン・シリーズだ。派閥争い、先乗り争い、そういう仕事上の競争原理のなかで生きている者たち。かつ犯罪に関わる職業、つまり刑事、検事、弁護士、判事、刑務官、記者であったりするということなのだ。その各職業層から一人ずつ持ち回り主人公を繋いで、このストーリーを構成したというその技の妙という点こそ、この作品は最も評価されるべきではないのかとぼくは感じた。

 このような構成で、しかも最小限の文章で(風景描写など作中にほとんどありません、アメリカ作家が読んだら不思議に思うだろうなあ、日本にはあまり風景がないのかって)、一つの犯罪ではなく、犯罪直後の二日間を犯人が黙秘することの「動機」だけを追跡するというちょいとズレたところに謎を持ってきた小説。この設定自体は、けっこう困難な隘路であったと思うし、そこを辿る着実な構成力を持たなければ容易に失敗する不安定感を持っているのだ。だからこそこの主役バトンタッチ形式で、しかも連作短編小説のように持ち回り主人公たちが一つ一つの短編小説としてのそれぞれに起承転結を持って物語をしっかりとクローズしてゆくという素晴らしさ(!)は評価されてしかるべきだろうと思ってしまう。この作家は本質的に短編作家なのかもしれない。

 しかし、ストーリーには、やはりいくつも強引なところが見られるので、読んでいる間も直木賞問題の論点はこれかな? と思い当たる部分がぼくの場合複数あったりしたのだが、予想はものの見事に外れた。結果的には社会問題を扱ったもので、そのテーマの運用ルールにおける現実との違いを指摘され、ついでにこれに気づかずに本作を高く評価したミステリジャンルの評価レベルの未熟さをを批判するという、林真理子ならではの攻勢に晒されたのだと思う。

 それはさておいて、この作品自体が直木賞という重さに耐えられるかというと、ぼくとしてはあまり肯定的な見方はできない。

 テンポ、リズム、すべてにおいて少しだけライトな印象で、面白すぎるゆえに小説的重さとか引っかかりが全然なく、飲み下しやすいし、第一、大衆的に過ぎる。これだけ直木賞の求めるものを完全に備えてしまっていては、これまでの直木賞受賞作の意味がなくなるではないか。そう、何もかも奇麗に整いすぎているというのが、この作品の問題なのだと思う。

 小説というのはいかにその不完全さや寄り道的部分に意味があるのか、と気づかされる作品であり作風である。ミステリ・ジャンルにおける数学の方程式のような無駄のなさというのは、ときには本当の意味での魅力を削いでしまうのだと思う。この作家の致命的欠陥かな?

(2003.06.20)
最終更新:2007年06月04日 00:27