深追い







題名:深追い
作者:横山秀夫
発行:実業之日本社 2002.12.15 初版
価格:\1,700

 最初にこの作家に触れたのは連作短編『第三の時効』であり、そこでは何か意図的な不自然さのようなものを感じた。警察内部における刑事たちの競争、駆け引き、そうした職業上の執拗さのようなものがクローズアップされている割に全くと言っていいほど男たちのプライベイトな部分が無視されている点。小説として、キャラクター重視ということは今求められて当たり前の部分さえあるくらいだし、この作家とてキャラクターをしっかりと人間的側面から描こうとしているのは姿勢としてはすぐに感じられた。

 しかしそれにしては冷たい、というのが第一印象。男たちのタフでハードな世界をこれほど描いているのに、彼らには家庭とか趣味とかそういった領域というものは存在しないのか。作者はそうしたものを描くのがもしかしたら恐ろしく下手なのか。ここまでが、ぼくが『第三の時効』読後の印象であったわけだ。

 それらの疑問や不足感を解消するには、実は一冊あれば事足りる。それがこの『深追い』という短編集だ。一線級の刑事が主戦場で活躍する『第三の時効』に比べ、同じ連作短編集でありながら、こちらはまるで真反対のものを拾い集めた作品集と言える。刑事捜査の中心を歩く者はこの作品集には独りも出て来ない。警察署の片隅で日頃誰にも知られず地道に捜査とは別の畑で仕事をこなしている人々の事件簿、なのである。

 刑事捜査とは少し外れたところで、警察と社会の人間的な絡みが生じる。あるいは警察を辞めた人たち。一生警察という機構の中で出世とは別の道を歩んできた者たち。そうした普段ならミステリという形で取り上げられることさえない多くの警察職員の物語がこの短編集の主人公たちである。これだけでも十分に素晴らしい本だと、ぼくは思う。

 思えば『顔』だって似顔絵書きという、普段であれば脇役でしかない仕事を振られた警察職員を敢えて主人公に据えたことで出来上がった物語。本書ではさらに交通課事故係(交通警官でさえない)、写真係(新聞発表のための顔写真作成)、会計課員(警官ですらない)など、非常に警察捜査の外れにいるような老若男女を主人公に抜擢し、しかも感動的なストーリーを見事に作りあげている。

 同じ連作短編集でもどちらを手に取ったかによって横山秀夫の印象はがらりと代わるかもしれない。ただこれだけは言えると思う。この作家が秀でた短編の名手であること。警察機構というある種経験値のある分野を極めて専門的でリアルに見据えた独特な視点を持った警察小説の書き手であること。そして路傍の草花に眼を向けることのできる作家的特性がこの作家を当分は支えてゆくであろうこと。

(2003.09.03)
最終更新:2007年06月04日 00:17