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キッドナップ /「子宮の記憶―ここにあなたがいる」へ改題






題名:キッドナップ
作者:藤田宜永
発行:講談社 2003.08.25 初版
価格:\1,900

 嬰児誘拐をされた過去のある少年。ぎくしゃくした家族との現実に爆発した彼が求めたのは、かつて自分を誘拐した女の現在だった。舞鶴の小さな海辺に食堂を営む女のもとに素性を隠して乗り込んだ彼の出会いとは? 他人と言い切れぬ仮想の母子の物語が一夏をめぐる。何とも切なく、狂おしさに満ちた逸品。この作家でなければ決して書けぬ情感が全編を覆う。北野武あたりにメガフォンを取ってもらい映画にして欲しいなと思える、少しアナクロなリリシズム。ぼくはこういう小説をずっと好きであり続けたいと思う。

 最近はとりわけ恋愛小説の書き手として直木賞までかっさらった藤田宜永。この作家は、本当にいろいろな物語を書き綴る。『鋼鉄の騎士』に代表される大スケールの国際冒険小説。フランス・ノワールをイメージしたようなクライム・ノベル。もちろんハードボイルド。そしてホラー。大正ロマン溢れる東京を舞台にしたきらめくようなシリーズ・ミステリー。きらきらと輝く才能でいっぱいの作家でありながら、大きなヒットというところにはなかなか結びつかない。だからこそ良心的でいい作品を多く紡ぎ出す。

 この作家の作品のなかでもぼくが好きなのは、上のどれにも属さないような作品だ。『転々』『虜』などの長編も、切なく素敵な物語で、<佳品>という表現がよく似合う。短編集『じっとこのまま』は大切な宝箱のような作品集で忘れられない。そこにこの『キッドナップ』という長編は積み重ねられる。切なく、決して忘れられることのなさそうな作品。読んで良かったと心の底から思うことのできる作品。読書経験の模範のような調和感。

 心の琴線をくすぐり、そして地味ながらしっとりとした行間の淡い間合い。ひりひりするような憧憬に溢れる異性への焦がれ。屈折と出会い。さりげない身近な風景と存在感のある町。多くの個性たち。少年のひと夏を描いて、これほどたっぷりと切なさが味わえる物語はないだろう。一人でも多くの人にこうした本を読んで欲しい。とりわけ読後感の情趣をたっぷりと味わいたい方々に。

(2003.12.07)