蚊トンボ白鬚の冒険






題名:蚊トンボ白鬚の冒険
作者:藤原伊織
発行:講談社 2002.4.20 初版
価格:\1900

 今年の数少ない収穫の一つがこれ。藤原伊織は寡作だけれど、一作ごとに上手くなっている作家という印象を持っていて、本書はまたもそれを裏切らない。

 ある日、突然、頭の中に蚊トンボが住み着いてしまったなんていう、奇妙な話の展開に普通なら面食らう……と思う。ましてやその蚊トンボが能力を発揮すると、超人的なパワーをほんの一瞬だけ発揮することができるなどというおどけた話の場合、ぼくであれば、小説への忌避感のほうが先に立ってしまうと思う。

 ところがこの寓話的設定が少しも気にならないばかりか、どんどん作者の術中に落ちて行ってしまう自分に気づいてびっくり。どことなくニヒルで人生を投げている主人公が、頭の中の蚊トンボにせっつかれて、生きる充実を見出してゆく再生の物語。そう書くと美しいけれど、どこまでも庶民的で下世話で、それでいてどこか冒険小説の軸を外さない。

 美味いなあ、としみじみ思う藤原伊織の世界。暴力団の一角によく出没するタイプのインテリと大男を足して全然割らないような人物がいい。冷酷で頭の一角が切れてしまったようなナイフ使いの化け物もいい。世の中に欲望を全く持っていないのに、どこかで怒りに突き動かされてゆく主人公の読みにくいキャラがいい。

 結末は、いろいろ異議もあろうかと思う。ぼくもこんな展開はとても読めなかった。かつてアスリートであった主人公、時間切れが迫る蚊トンボ白鬚の命。血とバイオレンスと真夜中の操車場。日本映画がかつて持っていたようなパワフルなエネルギーと、燃えるような共感を残してこの物語は終わってしまう。

 重い結末なのに、何故か爽やかな感覚。良質な冒険小説の読後感そのものだった。

(2002.08.11)
最終更新:2007年06月03日 21:20