さまよえる脳髄




題名:さまよえる脳髄
著者:逢坂 剛
発行:新潮社 1988.10 初版




 あまりの面白さに300ページを一気に一晩で読んでしまった本である。読み始めたら止まらなくなる本というのはあるけれど、これがそのひとつであることは間違いない。

 逢坂心理サスペンスの極地でもある。精神心理学的見地から、また脳外科分野からサスペンス・ストーリーを構築するする腕では、国内では文句なしに最高峰の作家であろう。『百舌』シリーズでは記憶喪失やロボトミーなどが駆使されたが、本書では二重人格がモチーフとなっている。それも並大抵の二重人格ではない。

 「右脳と左脳の連絡橋の役割を果たしている脳稜断裂」による右半身左半身の分裂やら、幼児的トラウマから虹や色彩に反応して起こる殺人。フェティシズムから発展する殺人。さまざまな狂気が、女医であるヒロインのもとを訪れる。またそのことによって同時進行的に起こるいくつもの事件。

 まったく無駄のない文体の中で、凄じい速度で進行する狂気とサスペンス。心理学的なもの脳医学的なものというのは、非常に人間的興味をそそる題材であるだけに、読者としてはたいへん引き込まれるものを感じる。だからこそあの『羊たちの沈黙』は面白かったのだし、『宣告』『フランドルの冬』の加賀乙彦に代表されるようなプロの医学者たちの作品もそれなりにひどく引きつけるなにかを持っている。

 逢坂作品では、スペインものは資料の蓄積の果てに出来上がった冒険小説というイメージが強いが、心理分析物となると、全く色合いを変えて、本当にひとりの同じ作家なのだろうかと思わせるような作品に仕上がる。それだけ作者は器用であり、半端なものを作らないということなのだ。

 ともかく『百舌』シリーズのファンには楽しめることうけあい。出色のサスペンス・ミステリーだと思う。

(1990.07.03)
最終更新:2007年05月29日 23:43