幻のマドリード通信




題名:幻のマドリード通信
作者:逢坂剛
発行:講談社文庫
価格:¥380



 『幻のマドリード通信』『カディスからの脱出』『カディスへの密使』『ジブラルタルの罠』『ドゥルティを殺した男』以上5編が収録された短編集である。

 つまらない長編を読んだ後にこういう本格的な作品群に触れるとほっとしてしまう。逢坂剛は割と地味な文体で二重三重のどんでん返しをこなしてしまう器用な作家だ。たったひとつのどんでん返しでないところが逢坂作品の面白さの秘密なのだと思う。そしてポーカーフェイスに近い、気負いのない硬質な文体。文体の硬さという意味では、帚木蓬生などと同種でわりと純文学を匂わせるものがある。特にスペインを扱ったものではそうである、と思う。

 船戸与一には南米ブラジルやベネズエラがあり、森詠にはインドシナを中心としたアジアや中東があり、そうして逢坂剛にはスペインがある。逢坂剛のスペインへの傾倒は本人も認めているようにただものではない。スペインという国の持つ荒々しい現代史と混沌(カオス)、スペイン人特有の熱情的な性格(パトス)こそが、この作家にスペインを舞台にした作品を量産させているのだ。

 そして混沌の中から拾い上げたいくつもの歴史的な謎・疑問。これらを縫い上げる人間たちの熱いドラマ。これが逢坂スペイン小説の世界である。爛熟した先進文明の国々では厭き足らぬものをスペインに求めた冒険小説作家の、ひとつの志向なのだ。こういう志向は素敵なものであり、なおかつ冒険小説を書きたいと願うぼくにとってはうらやましいとさえ思う。

 『カディス・・・』2作は『小説現代』新人賞に応募してノミネートされたが授賞を逸した作品に加筆訂正したものだという。このカディスという、スペインの中でもあまり語られることのない片田舎の街への作者の入れ込みはすごいと思う。結局この入れ込みは『カディスの赤い星』で直木賞を勝ち取るという形になって彼のもとに帰ってくるのだ。

 ともかくこの作品集は(ぼくにとって初めての逢坂短編集なのだが)思いのほか面白かった。読んでいて、う~ん読書って楽しいものなのだなあ、としみじみ実感させてくれる作品というのは、これはやはり相当なすぐれものなのだと思うのである。日本の作家も捨てたものではないよ。いや、むしろ日本の作家だからこそ、母国語の唯一原典で読める作品だからこそ(バイリンガルの方々なら別なのでしょうが)楽しめる何かがあることは確かなのである。

 逆にいえば、そのハンディを乗り越えてなおかつ面白い海外翻訳小説というのは、相当なレヴェルに達しているのかもしれないですね。

(1989.12.27)
最終更新:2007年05月29日 23:27