イベリアの雷鳴



題名:イベリアの雷鳴
作者:逢坂剛
発行:講談社 1999.6.14 初版
価格:\2,200

 歴史上の大物暗殺をめぐる物語というのは、ある意味では冒険小説の王道をゆくものだと思う。ドゴール暗殺を扱う『ジャッカルの日』、チャーチル暗殺を扱う『鷲は舞いおりた』に代表されはするが、けっこう国内の歴史小説などでも信長、秀吉、家康あたりの暗殺ものというのは多いのではないだろうか。

 しかしあくまで暗殺そのものを一つの作戦として展開させるところに、冒険小説としての醍醐味があるのだと思う。作戦はターゲットが大きければ大きいほど胸踊るものなのであり、そこに至る緻密な戦略が実に遠まわりであっても、ストーリーとしては一本の野太い線が常に引かれているわけである。

 そこへゆくと本書は版元と作者の折り合いがいかにも悪い、というように感じられる。版元はフランコ暗殺をアピールしたいらしき帯を本に巻いているが、逢坂剛はそうではないように見受けられる。

 暗殺者などはなかなか出てこないし、フランコの暗殺に至る動機づけの方に物語の主眼があるように見える。期待したフランコ暗殺、ついに逢坂が王道を書くのか、という思いはものの見事に裏切られてしまうのである。

 なのでこれは野太い一本のストーリーとはとても言えない小説である。ヨーロッパのある時代の地勢図がわかりやすく、ウィンザー公やカナリス提督の逢坂版解釈も楽しく読むことができる。時間軸の上での壮大な事実の上で躍らせる人間絵図とでも言えば、少しはこの小説の持ち味の部分がわかるだろうか。

 もっともぼくはこの作品の持ち味以上に期待はずれの方を感じた。前作『燃える地の果てに』のインパクトが強すぎたせいだろうか。あるいは現在同じ時代を扱ったグレッグ・アイルズ『甦る帝国』のさらに凄まじい人間絵図に心を捕らえられてしまっているせいだろうか。あちらの世界から見ると、逢坂ヨーロッパ地図は整理されてわかりやすく見える。

 逢坂の筆力を持って描いた小説でありながら、多くの登場人物にドラマがない。一人のヒロインだけにおいて劇的な変化を遂げてゆくが、クライマックスは期待を裏切り彼女が主人公でないことを告げている。主人公はこの作品ではスペインであり歴史である。人間はまるで将棋の駒のようである、その心理さえも。あらゆる意味で逢坂剛の悪い面を見てしまう気がする作品であった。

(1999.08.24)
最終更新:2007年05月29日 23:04