あでやかな落日



名:あでやかな落日
作者:逢坂剛
発行:毎日新聞社 1997.7.30 初版
価格:\1,900

 逢坂剛が『カディスの赤い星』を世に出した頃、日本の冒険小説界はまさしく黎明の時代であったと思う。『カディス……』という作品は、枚数が多すぎて本としては出版できない、と一度刎ねられた経緯があると言う。だからこそ長編でのデビューを一度は諦め逢坂剛は短編でデビューという回り道をたどらねばならかった。その一度刎ねられた作品が世の読者に受け入れられて、見事直木賞を勝ち得たのだった。世の出版事情はかように冒険小説への理解を示していなかった。同じような例として、志水辰夫のあの傑作『飢えて狼』の、とりわけ醍醐味ともなっている第二部の潜入描写について大胆に削らされ出版となったいきさつなどもあったという。

 そうした苦しい時代だったからこそ、次々と日本冒険小説の星が現れ、輝いて見えたのだった。彼らは、それぞれに一癖も二癖もある過去をひっさげ、それぞれに得意な物語を紡いでみせた。南北アメリカの船戸与一、第三世界の森詠、日本における冒険小説の誕生に賭けた志水辰夫がいた。そしてスペインといえば、まさに逢坂剛の独壇場であった。ましてや、当時は誰の作品も一作一作が重かった。

 今こうして逢坂の長編を手に取ると、そうした時代の、世代交代は確実にやってきていると感じないではいられない。

 逢坂剛は読破してるぼくだ。岡坂シリーズだって当然ずっと愛読している。しかしどこかで「オカサカ」は現実に存在する「オウサカ」の写しに過ぎないのだと思う。古本、スペイン、フラメンコ・ギターなどという作者の趣味そのまま、年齢もまさに等身大の主人公。本書で扱われている題材は、作者のもう一足のわらじとも言える広告代理店の熾烈な企業競争。取材なんてしなくても書けそうな内幕もの、などと苦情の一つも言いたくもなる。

 殺人も暴力もほとんど行われない日常生活。少しばかり不可解な事件らしきものが発生し、それなりに面白く読めるあたりは作者の強引な執筆力があるからだとは確かに思う。主人公のハードボイルドな志向もよく分かる。自由と誇りを胸に抱いているのもよく分かる。時代の風潮を映すのがハードボイルドの一つの定義だとしたら、確かにこの小説はその定義をきれいにこなしているし、文体も会話もなめらかでしゃれていて、とてもスタイリッシュであるのかもしれない。そういう意味でべた誉めという批評も世の中には多数存在するのかもしれない。だからこそ逆にぼくは別のことを言いたいのだ。

 ぼくは、作者等身大の主人公という点こそが、この作品の最大のつまらなさだと思う。こうした「オジサマ」探偵、東京の垢抜けた感じは掴んでいるかもしれないが、ジョークにしろ軽妙なトークにしろ臭すぎて、ぼくにはとてもついていけない。やはり作者等身大の物語というものは書く側ほどには、読む側は楽しめないし、波長が合わねばそれまでなんだ。

 日本小説だけを読んでいるというような読者はこんなことは感じないのかもしれないが、かつて日本を代表した冒険小説の書き手たちが海外小説のスケールを望んで作品に挑んでいたあの一時代「冒険小説の時代」に比べれば、ぼくはやはり等身大の主人公にこだわるようになった今の逢坂剛には少しばかり寂しいものを感じざるを得ないのだ。

 公安シリーズも、スペインものも、そして岡坂ものも、総じてかつての輝きを失ってきているとぼくは正直言って思う。今の日本冒険小説界では、高村薫、真保裕一、香納諒一など活きのいい後継作家がどんどん生まれている。先輩作家が冒険小説作家の引退なんてことを考えていたら読者はもう着いては行かない、と苦言を呈しておきたいところなのである。

(1998.01.24)
最終更新:2007年05月29日 23:00