しのびよる月



題名:しのびよる月
作者:逢坂剛
発行:集英社 1997.11.30 初版
価格:\1,600

 ぼくの場合、逢坂剛という作家の短編にはそれなりの思い入れがあって、しかも特にスペインを題材にした短編については、日本作家に珍しいような密度の高さを感じていたから、こうしたごく普通のお気楽短編集をその同じ作家が出してしまったという事実には、単なる幻滅以上のなにものも感じない。

 この作家の初期短編集、たとえば『幻のマドリード通信』などスペインものの短編集は、今振り返っても、実に完成度が高いと思う。入魂の一作である大長編『カディスの赤い星』を世に出したいために作家デビューを狙って書かれた、初期短編集には非常に高いモチベーションがそのままに現れていたと思う。よく考察され研究された、作者のこよなく愛するスペイン現代史を題材にした、冒険小説色の濃いあれらの短編は、最近の、味の薄くなった逢坂長編に比べても遜色のない出来栄えだったと思うし、それだけ作者の小説家精神のハングリーさが滲み出ていたように思う。

 とりわけ企業人であり作家であるという二足のわらじを履いていた逢坂にしてみれば、自分を売らずに好きな小説を書けるという、他の専業作家にはない特権のようなものがあっただろうし、そうした立場を利用しての思い入れの強い作品を書けていたように思う。

 今回のこの短編集が、早や老境に入ってしまった作者の遊びだとしても、L・ブロックの自身遊びだという短編集のような、優れた、プロとしての誇りはぼくには感じられない。こんな半端なシリーズを世に出すな、とさえ言いたくもなる。過激な意見なのかもしれないけれど、かつての逢坂を愛読していた者としては正直投げ出したくもなったくらいである。短編小説としてのテクニックの粋を極めていた逢坂を、ぼくは松本清張以来の逸材とまで信じたことがあった。そういうかつての愛読者の言葉として、ぜひとも苦言をまたも呈しておきたいまでなのだ。

 スペイン・ネタが枯渇したのなら、ぜひとももっとスペインに足を運んで、かの地の空気を、ぼくらに作品という土産として届けて欲しいものである。

(1998.01.24)