帰りなん、いざ





題名:帰りなん、いざ
作者:志水辰夫
発行:講談社 1990.04.02 初版
価格:\1,300



 浅茅という山梨・長野の県境の山村が舞台である。ぼくはこう訊いただけで、すぐに5万分の1の地図を取り出してしまう。根っからの山ヤなのだ。調べてみた。この付近にはもう5~6度行っている。奥秩父最西端の山、金峰(きんぷ)山・瑞牆(みずがき)山 には同じくらい登っている。深夜、道を間違えて、車で妙な峠に入ってしまったこともある。韮崎から増富温泉へ向かって深い渓谷を登ると、金山平・銀山平と文字通り、かつての鉱山跡がある。少し西へ下れば、清里や野辺山といった、だれでもが知っている新しいリゾート地があるのだが、八ケ岳の麓を離れ少し秩父側に寄ると、この小説の舞台のような名もなき山村が、谷あい深く眠っている。地図をよく調べてみたが、浅茅という名の部落は現実にはなさそうだった。

 こうした地理的に親和性のある小説を作るのがこの作家のお得意とするところなのだが、国産冒険小説作家でこうした面を大切にしてくれる作家は意外と少ないような気もする。日本国内の各都市部はともかく、こういう田舎の山村が冒険小説の舞台となり得る要素は極めて少ないせいかもしれない。しかし志水の手にかかると、思いもかけない僻村や山林が冒険小説の舞台となってしまう。これは極めて美しい風土を背景に育ったぼくら日本人にとっては貴重な才能であると思う。

 エトロフ・築別とぼくにとっては個人的に非常に興味ある土地を描いてきた作家が、またもぼくにとっては蔑ろにできない土地を背景に、美しい作品を描いてくれていた。これが本書に対してぼくの感じた最も大きな印象であり、はっきり言ってすべてである。何しろ彼の自然描写、風土描写は、作品それ自体を形成するほどにいつも重く大きく描かれている。ストーリーは、その風土や季節に吸収されてしまうほどだ。その点ストーリーのサスペンス性、アクション性はどうしても後回しにされるきらいがあり、全体的に冒険小説としてのバランスが危うく傾きかけている印象をぼくは否定することができない。そういう意味では余り人にお勧めできないタイプの作家ではあるのだ。

 志水作品に触れるとき、人はとても個人的な思いに囚われ、そこで共感してゆくものなのだろう。冒険小説プラス・アルファ。それが志水作品だ。そのアルファを娯しめない限り、志水作品は地味過ぎ、悠長過ぎるのかもしれない。ぼくは面白く波乱万丈な作品も好きだが、志水作品のような(とりわけ本書のような)骨太のヒューマンな人間学的ドラマも捨て難い。

 この作品は最後の最後にならないと、冒険小説的な盛り上がりはない。ほぼ8割がたは山村の生活と淡い恋心の描写に裂かれている。もっともラストの盛り上がりは志水作品の特徴なのだが、いつもながらのエネルギッシュな破壊力を秘めている。ちょっと不思議なちょっと毛色の違った作品をと、お望みの方にはお勧めしておきたい。

 なおここでは主人公が毎日98に向かって翻訳の仕事をやっており、通信手段として、パソコン通信を使ったりする。軽井沢では、とんねるずやタケシの店について語られるなど、かなりリアルタイムな側面も混じっていて面白い。

(1991.02.16)
最終更新:2007年05月28日 22:33