青い翅の夜 王国記IV




作者:花村萬月
発行:文藝春秋 2004.01.30 初版
価格:\1,429

 『むしろ揺り籠の幼児を』と表題作『青い翅の夜』と中編二篇を収めた一冊。前作『雲の影』からそのままダイレクトに引き継いだ『むしろ揺り籠の幼児を』では五島列島を離れ、東京へ戻る朧と教子を朧の一人称で、『青い翅の夜』は赤羽神父とともに朧の子<無>を育てている百合香との経緯をジャンの視点で描いている。

 本書だけ読んでもこの作品世界の全体像は見え難いと思うが、基本的には『王国記』は連作中短編で構成された一大叙事詩である。元は芥川賞受賞作品『ゲルマニウムの夜』でスタートするが、萬月作品としては相当に力の入った大作であるように思う。最近の萬月作品は大作狙いが多く、ただでさえワーカホリックぶりが目立つが、その中でも本シリーズは取り分け永いおつきあいそうになりそうな気配がする。

 『王国記』は、一見どの作品も中短編として独立した形であり、まるで別々の物語として読むこともできる。作品によって視点、語り手は、あっさりと切り替わり、人称も舞台もそれぞれに独自なである。雑誌に一作ずつ発表される場合は独立作品の色合いが強く、本に纏まめて順番に読むことで、全体を俯瞰しての大作長編として捉えることもできる。ぼくの場合は、大作長編として捉えつつも、実際には短編としての萬月ならではのディテールを味わってしまおうかという欲張った立場で読んでいる。文体の差異とは、それぞれに味わいがあるものだし、それだけの技術があるから読める、というところがこの作家の場合には強みとなる。

 初期作品は、芥川賞受賞作として相応しいだけの、密度濃い、凝りに凝った文体で編み上げられていたのだけれども、続く作品群、特に中編の長さを持つようになったここ二三冊ほどは、純文学、エンターテインメントのどちらとも取れるようなめりはりを持つようになった。萬月というジャンル、とでも呼びたくなるほどに、相変わらずのマイペースぶりがむしろ心地よい。

 さて本書では『王国記』のシリーズに大きな進展が見られる。ぼくは、本シリーズは言わば萬月の宗教的原点の姿を書いてゆくシリーズなのだと、思っていたから、朧はどこまでも萬月の鏡像と見ていた。ところが、本書においては朧の息子である<無>があっという間に成長をして、赤羽太郎という名前がを持つようになる。周囲のキャラクターは、まるで十二使徒やマグダラのマリアのような印象を持ち始める。太郎は、もしかして満月世界に現われたキリストなのか?

 ぼくは『王国記』は萬月の原点であり、過去の真実の吐露が、ある本質においてなされるのだと考えていた。その予測が外れたというわけではないのだが、物語は現実から徐々に逸脱し始めている。本書では奇蹟、あるいはそれに類したことが生じてしまう。一方で、まださほどの逸脱を見ていないかと思われる部分では、よりリアルな自伝的要素の強い『百万遍』シリーズが上梓されている。

 要するに原点がどこかで分岐したのだと思う。本当の私小説は『百万遍』へ。宗教的原点小説は、より哲学的な核を求めて『王国記』へと離れてきたのかもしれない。いや、きっと作者にとっても、方向性などは大して意味を持たないに違いない。よい意味での逸脱、というようなことを、作者も何かの折りに書いていた。

 まあ作者のフリースタイル作風はぼくは、それあっての萬月と感じている。今後ともなるようになってくれ。こちらはとことん味わうまでである。
最終更新:2006年11月23日 19:59