夜の分水嶺



 G君(現・吉野仁)情報では、志水さんの無自信作だそうなのだが、何の、面白いではないの。ここのところ鳴りを潜めていた大がかりなアクション・シーンが復活して、志水作品にしては初期の頃を思わせるサービス振り。だから最近の心理サスペンス的なものを期待してゆくと、けっこう安手の(荒唐無稽的な部分が多いことは否定できないのだ)感覚にがっかりするという方もいらっしゃるかもしれない。おーい、志水よ、こんなもん書くなよ、という方もいらっしゃるかもしれない。なにせ志水作品の中では珍しくもB級アクションに位置すると言っていい作品かもしれないからだ。しかしぼくはB級西部劇もマカロニウエスタンも好きだ。JACと工藤栄一が組んだ忍者映画も、香港フィルム・ノワールも好きだ。マイク・ハマーだって大好きだ。だからこの手の作品、志水さんも書くんだなあ、と、こっそり嬉しがってしまうのであった。むはは(^^;)

 ま、そういうわけだからして、志水作品特有の抑制の効いた地道なストーリー展開はあまりない。主人公の過去が中途半端にしか描かれていない故に、いつものすさまじい情念もこの作品には見られない。前半が政府の秘密組織を敵に回しての篭城シーン、後半は『明日に向かって撃て』を思わせるような、ただただ連続する逃走シーン。ということで最初から最後までのノンストップ・アクション。理屈ぬきにアクションが好きだという方にはこの作品けっこうスリル満載なのでお薦めなのである。

 ただラスト・シーンはなんだかなあ……である(^^;) これでいいわけ? と問いたくなってしまったのである。最後まで『明日に向かって撃て』をやってくれよ、と言いたくなるのだ。初期の志水作品なら、これは3分の1くらいの物語ではないのだろうか。ぼくは少なくとも長編を読んだというより、短編を読んだ後のような気分でこの本を閉じた。主人公への思い入れも、物語の連鎖性のなさも、どちらかといえばノベルズ向きのわりと薄味なのだ。この本の値段 1,400円、初期3作がいっぺんで買えるな、と思うと何となく胸の中が生焼けになったような気分ではある。

 舞台はぼくにとっては毎年のように訪れる馴染み深い場所。浅間山・志賀高原・苗場山に囲まれる山中である。最近都市小説が続いただけに、『帰りなん、いざ』以来の自然を舞台にした本作とあって、そのへんはなかなか郷愁を誘われた。山の中の老人のシーンは、ほろりとさせられる志水節。ここだけでも読む価値はあるのだ(;_;) 日本を舞台にした冒険小説は難しい。この本はつくづくそのあたりのことを証明してくれているような気がするのであった。

(1991.8.22)
最終更新:2007年05月28日 21:13