裂けて海峡



題名:裂けて海峡
作者:志水辰夫
発行:講談社文庫
価格:\460

 まず気付いたのは主人公の「わたし」が『飢えて狼』とはかなり対極的な位置にあるということ。まず中年である。40を過ぎているから前回の『狼』の主人公よりは10歳ほど、年長なのだろう。その上、登山やクルージングの経験もなさそうだ。それどころか他のどのような分野でもこれといったエキスパートではなさそうだ。それでいながら『狼』の「わたし」と違って巻き込まれ型ではなく、謎を執拗に追求して意地になっている部分まである。『狼』の「わたし」は一種のエキスパートであり、巻き込まれることを徹底して嫌っていた。タフで、したたかなものがあって、体力はまだ充実していた。『海峡』の『わたし』は、尾行を巻くこともできなければ、仲間を守ることもできない(これは『狼』もいっしょか)。


 文体も『狼』に比べて緊迫感が薄れている。むしろ贅肉を絞ったらいいのにと思われる部分が多々あるくらいだ。この辺は読者の趣味によりけりであると思うのだが、会話体は、子供の喧嘩のような箇所が多過ぎて、ぼくはあまり趣味ではないなと思ってしまった。会話体は、やはり矢作俊彦やレイモンド・チャンドラーのそれのほうが好きなのである、ぼくは。もっともリアルという意味では、どっちもどっちで、志水型も矢作型も現実にはあり得ないような会話でしかない。しかし現実にあり得るような会話では、そもそも小説自体が成り立たなくなってくるのかもしれない。

 しかし地理とか日常生活を描写し始めると、志水辰夫の文体は途端にリアルなものになってゆく。はっきり言って今回もなんの気取りもない。バーボンよりは薄汚れたコップで飲む冷や酒の世界である。柘植久慶の世界ではバランタインの12年もの。矢作の世界ではギブスンやギムレット、船戸与一はテキーラで、逢坂剛ではマルガリータ。ジャック・ヒギンズは、言わずと知れたブッシュミルズ・アイリッシュ・ウイスキイ。冒険小説やハードボイルド世界特有の小道具の独特の使い方を、志水辰夫の世界ではまるで逆手に取っているらしいのだ。一升瓶がそこらにあって、主人公はぼくらの日常生活の中に半身を浸しているわけである。

 だから鹿児島というのは行ったことがないのだが、きっと地名も性格極まりないのだろうな、と思う。で、全体の雰囲気だが、ヒギンズの初期長編小説群に似ているのだ。的が国家であるにもかかわらず、主人公に対するのは、その手先の一握りのチームといったところで、それ程壮大なスケールを感じさせない。しかし主人公に執拗に関わってくるというこの1点。また随所を彩る自然描写。海・洞窟・沢伝いの抜け道・山道での逃走等々。だから匂いはかなりローカルなものであり、初期ヒギンズ一人称小説世界を彷沸とさせるのである。

 ラストはちょっと鼓動が激しくなるくらい圧巻であった。随分ゆるめの展開だが、それなりに読み進めるなあと油断していると、ラストはやはりラストなりに、すさまじいものが用意されていたのだった。この辺りが唸らせるのだよなあ。この作家は。

(1990.1.19)
最終更新:2007年05月28日 21:09