飢えて狼



題名:飢えて狼
作者:志水辰夫
発行:講談社文庫
価格:¥420

 正月休みの間にできていたこの新会議室。ぼくはあまり新刊は読まないから、読書感想文はこちらのほうにアップすることにしましょう。それではのっけから、正月に読んだいい本を。

 これはいつだったか、 TOKIOKAさんが薦めていた本なのでしばらくのあいだ気になっていた作家だった。ぼくにとっては初めて接する志水ワールドなのであるが、はっきり言って国産冒険小説のひとつの金字塔なのではないだろうか? そこまで言ってかまわないのではないだろうか。

 常々国産の長編小説には本物が少ないと思ってきたのだけれど、それは軽いタッチの読みやすい行がえの、どちらかといえばコミックの味わいに近い薄っぺらな本がいつの頃からか量産されてきたからだと思う。それらは確かに読みやすいし、安いし、薄っぺらで手頃だ。疲れた通勤電車の中や、お昼休みの食後の喫茶店といった場所で、ため息つきながらぱらぱらっと(本当にぱらぱらっと)読むには最適な本なのかもしれない。そしてそういうシチュエイションが日常生活の中に増えているからこそ、その種の本が売れるのだろう。週刊誌でも漫画でもなく、軽く読める小説。それがこの時代のこの国の出版物のとある方向であり、書店の風景ともなっている。

 でも、そういう中でだからこそむしろ、ぼくは志水辰夫のような作家との出会いがひしひしと嬉しい。

 だいたい冒険小説というジャンルがこういう作家を多く輩出しているのだ。多くのミステリーやファンタジーに厭き足らず、もう少しよ見応えのあるドラマをと欲した作家たち・読者たちの巣くう場所が、冒険小説という分野なのだ。ぼくは冒険小説から男たちの生きざまを学び取ることができるし(陳腐な言い方だが実にこのことこそ大切ななのだと思っている)、浪漫や感傷にどっぷりと浸ることだってできる。知的ゲームであるよりはずっと野生的で本能的な、感性が生き残っている極めて希有な分野なのである。

 『飢えて狼』だが、何といっても第2部の北方領土を舞台にした逃走行が絶品。会話部分はほとんどなく、多くが孤独の逃走部分であり、主人公の独白で占められている。そしてこれがまさに手抜きのない文体なのだ。文章を大切にするのは作家としては当然のことなのだろうが、それにしては書きやすさに身を委ねている作家が多過ぎるこの頃において、こういう丁寧な描写に接する機会は少ないと思う。

 もうひとつ気にいったことがある。全く気取りがないことだ。主人公は半端じゃなく安いアパートに住んでいるし、ブランド志向でもない。山と海が好きで、少しもプロじゃない。何度も生き延びることを諦めかけては再び生への固執に目覚めて行くという移ろいやすい感情。その感情の振幅の大きさには妙にリアリティが感じられる。

 北海道を旅行しながら、こういう本物の小説を読んでいると、都会にないゆったりとした時間がぼくのまわりを流れてゆき、かつて山で味わっていた(ぼくは半月くらい平気で北アルプスに篭もっていましたから)古代的な大気の香りを嗅ぐことができる。都市の閉所恐怖症的時間の流れはどこかで壊れ、天然の影や色彩が車窓を流れ、志水辰夫の冒険の舞台へと、ぼくは再び目を落とすのです。そういうことがとても大事なことだと思う今日この頃でありました。

(1990.01.09)

『飢えて狼』で始まった


 志水辰夫との出会いは二、三年前。まだ読み残しも若干あるので、多くを語れる読者ではないのだが、最初に読んだ『飢えて狼』の凄まじさは今でも深く印象に残っている。

 第一部でハードボイルド、第二部で冒険小説、第三部でリベンジ・ストーリーと、男のエンターテインメントをたった一作で実現しようとしたそのとりわけ第二部のリアリスムが、ぼくの心を捉えて離さなかったあの冬の宗谷本線夜行列車……

 そう、最初に読んだのは北海道に旅をしながら『飢えて狼』。ただでさえ山ヤのぼくは登山装備の扱い方の描写などには日頃期待などしてなかった。でもこれが、不思議なくらい、志水辰夫は完璧であった。ザイルワーク。ハーケン。カラビナの扱い方、自己確保の仕方……およそ専門的な知識であるはずの岩場での動き方が100%理にかなっていた。ここまで岩場での動きを活写して見せたということでは、日本作家では『氷壁』の井上靖以来二人めではないだろうか? その後、谷甲州というこれまた冒険小説の見本のような『遥かなり神々の座』も登場したが、何と言っても志水氏はぼくは心底登山家なのろうと思いこんでさえいた。

 しかし志水辰夫は登山家ではなくプロの小説家であった。

 ぼくの志水ベストは『飢えて狼』『背いて故郷』『尋ねて雪か』の三作です。『裂けて海峡』『行きずりの街』がなぜ自分の中でイマイチなのかは、自分ではよくわかっているつもりですが、これは過ぎた感情描写がハードボイルドと相反する方向にあるように思えたからです。前にもどこかで言ったかもしれないけれど、饒舌な会話ストーリーを紡いでゆく類の志水作品はあまり好きではないということです。

(1992.08.19)

『植えて狼』の重み


 要するに『飢えて狼』はすごい下調べのもとに書かれているという事実が、ぼくにはわかるわけです。志水辰夫の作家的姿勢がまず最初にぼくの中に飛び込んだ。

 でももちろんそれだけではない。

 『飢えて狼』の第二部はダグラス・ターマンの『シェル・ゲーム』に似ていると思った方はいらっしゃいませんか? とにかく孤島での微細な描写は感動し、ハラハラし、緊張しました。そして後日、何とこの第二部が出版段階で編集の手が入ってずいぶん削除されていると聞いたときには、なんとまあがっかりしたことやら(;_;)

 『鷲は舞い降りた』でさえ削除されていたのだけどあれは史実的な意味もあったりしていろいろ当局の目を慮ったりした部分もあると思う。とにかく『鷲』だって完全版が出たのだ。今の志水ファンは志水初期作品の絶版的扱いに泣かされてきつつあるわけですが、本来は、むしろいまだからこそ『飢えて狼』の完全版の出版をこそ期待しているとは言えないでしょうか?

(1992.08.19)
最終更新:2007年05月28日 21:49