火車



題名:火車
作者:宮部みゆき
発行:1992.7.15 初版
価格:1,553円

 凄い作家がいたものだ。これがぼくの読了後の第一の感想。あまりのインパクト故、この本に関する他の人の感想をすぐさま見直してみたのですが、うーむ、いろいろ感慨深いものがあるのですね、これは。

 まず読みつつ思っていたのは松本清張。これは五条氏も書いていますね。しかも連想された作品は『砂の器』。まず何故松本清張かと言うとこれは社会派の追跡推理小説であるということ。カード破産を主題としていること(タイトルはまさに<火の車>のことですからね)。ま、そこまでは大方の意見の一致するところでしょう。単細胞さんなどはこのへんに程度問題での不満さえ憶えているわけですね。ううむ、それもまたなんとまあ欲の深い感想であることかと感じました(^^;)

 ★★この段落だけ【ネタバレ警報】です。★★



 しかしぼくはこれは松本清張的作品の中でもとりわけ『砂の器』に似ていると感じました。ある人物が戸籍その他を含めて別の実在する人物に入れ代わろうとするこのこと自体がまずそっくり。しかし、ぼくはその戸籍の工作などよりもそれをやらねばならなかった人間の、根源的な社会的孤独の方に(社会悪ではなく、です)、より『砂の器』を想起させられたのである。



 ★★【ネタバレ警報】終わり★★


 これは社会派ノンフィクションなどがその結果として表現することはあっても、いつも枝葉末端に置かれることで、どうしても小説という方法でしか表現しにくいものなのだとぼくは常々思っている。小説というのはむしろそちらの個の共感という方に狙いをすますわけで、読ませるという意味ではこれにまさる世への浸透の仕方はないわけです。だからこそヴァクスも同じ小説という方法を取っていて、ヴァクスはそのへんのことをおろそかにしていないと思う。技術的に拙い小説なら却って彼の主題はB級ホラーもの程度で終わってしまっているはずだから。

 さて本書の優れているところは、ヴァクスほどの社会的必然性を帯びていない(と思われる)一人の若き女流作家が、今日描いているものが、題材としての凄さも去ることながら、90年代というまさに我々の現在の足元にぽっかりと開いた暗渠の深さ、孤独の厚み、情念の切れ味の鋭さと言った、まさに作家的興味であるところのものすべてなわけです。

 巧く表現できていないのは重々承知だけど、ぼくの言いたいのは要するにこの小説は社会問題の告発書ではないということ。簡単に言えば、若い女性の都会の孤独がこうまでして周到に表現された小説なのである、。読者はその素晴らしさを味わうべきなのではないか、ということに帰するのである。とにかくこちら側の情感に迫るという意味では大変な作品が現われたものである。

(1992.07.31)
最終更新:2007年05月27日 22:58