無限遠/「春になれば君は」改題




題名:春になれば君は
作者:香納諒一
発行:角川文庫 1993.12.10 初版
価格:\600(本体\583)



 この作者若いのだが、充実した作家だなあと思う。決して安っぽく作品を仕上げてしまわないのは、作者自身が小説を愛しているからじゃないかと思う。そういうハードボイルドへの帰趨をこめて書かれたのが、この作品であろう。若いなりに小説として熟成しているとは言えないけれど、時代背景をしっかり踏まえて、その中にさまざまな人間の生き様を添えて走るミステリーは、しっかりとハードボイルドしていると思う。

 類型的な作品とは言えるが、類型は類型としてしっかりと作り完成させる能力という意味で、この作家、デビュー以来追いかけて来た価値ありだと思う。

 この作品の舞台は、架空の土地だけど、誰が見ても筑波学園都市とその隣の土浦市である。この辺東京からは思い切り離れているけれど、ぼくが育った一昔前の埼玉県南部に状況が似ていると思う。大宮の郊外に移転したぼくは団地に住まったが、地元の小中学校には、古くからの農家の子と東京から来た団地の子とがブレンドされた。農家の子は家の仕事を手伝ったりして、勉強はやらない、成績は悪い、だが運動能力は抜群……団地の子は情報量が豊富で勉強はできるけど運動能力で一枚落ちる……といった構図ができあがっていたものだった。

 幸いぼくの時代は全国模擬テストなぞ受けるのは圧倒的に少数派の団地の子だけだったから、あまり学校が勉強に重点を置くような空気もなかった。むしろ野生味を帯びた遊びに子供たちの関心は向いて行った。また当時九州や北海道の、閉鎖された炭坑から移住して来た、これまた異質な団地の人々というのが現われて、状況は次第にややこしくなっていったものだ。

 それはそうと、そうした筑波学園都市の新しい移住者たちと土地の古くからの住民との子供たちの間に、この本で描かれているような軋轢がなかったとは、ぼくは思えないのである。今の時代に、こうした新しい地方都市が受ける風を、この作品捉えているような気がする。だからこそそうした背景を踏まえた若者たちの感受性を取り込んだ、いい作品となっている気がする。

 最後にこの作品に登場する中年主人公と少女との関係だけど。少女というのはこちらが同世代の高校生だろうが、中年男だろうが、ずっと不明の、少し遠い存在でいいのではないかと思う。子供とみなせば理解仕切れるかというとそうでもない。どこか近寄り難い不機嫌な空気と愛くるしさを併せ持ったその世代に、ぼくら男どもは永遠に当惑い続けるのじゃないだろうか?

(1994.08.30)
最終更新:2019年04月17日 17:59