武揚伝


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題名:武揚伝 上/下
作者:佐々木譲
発行:中央公論社 2001.7.25 初版
価格:各\2,200

 ジャンルは時代小説。しかし中身は海洋冒険小説+戦記小説。いろいろな魅力が満載だし、文体は時代小説調でもないし、佐々木譲だし……ということでこの会議室に書いてしまうのだ。

 昔、安部公房の『榎本武揚』という風変わりな(安部公房の作品はおしなべて風変わりなんだけれども)作品を読んだが、榎本武揚は最初から幕府を降伏させるために官軍から雇われたスパイだったか、あるいは寝返った将軍だったかという、極めて疑惑に充ちた存在として描かれていた。大戦後、戦犯として捕縛された憲兵の、牢獄での日々と榎本武揚の物語が同時並行するという点でこの小説は他の阿部公房作品同様に、大変に風変わりなものだった……。

 さて、ここでは佐々木譲である。佐々木譲と言えば『エトロフ発緊急伝』をも含めて、自身の住む北海道(蝦夷地と言ったほうが嵌まるか……)を題材にした小説が持ち味である。とりわけ五稜郭を起点にした幕末蝦夷ものである『五稜郭残党伝』『北辰群盗録』などは、ぼくは傑作だと思うし、何よりも内容が蝦夷地の開拓にまつわる国家的暴力のさなかで、無骨だがサムライらしい生きざまを貫く夢多き男たちを描かせては佐々木譲という作家は無敵であった。その佐々木譲が、空想上の人物から離れ、歴史上の幕末/維新という激動を戦った中心人物に焦点を当ててきた……まさに真っ向、直球勝負で挑んできたというのが、何よりもこの作品最大の価値!

 幕末そのものの持つ旧いシステムの破壊を通して火事場泥棒的に政権を奪取しちまおうという、あくまで欲得の群れである官軍と、対照的に無骨で不器用なサムライを捨て得なかった幕軍との戦いのコントラストを、これでもかと言わんばかりに描きながら(勝海舟がここまで世渡りに長けた卑近な人間のように描かれたというのも珍しい)、ドラマの中心軸は、あくまで海洋に漕ぎ出す艦隊の勇壮。世界への憧憬。近代への飛翔。

 ある意味、真の海洋冒険小説でもあれば、歴史大河小説でもある。伝記のようでありながら、30歳代前半で五稜郭戦争を迎える榎本武揚に焦点を置く。明治維新後の武揚の人生はもっとずっと長いものであったにも関わらず、ここに綴られた若き10年間ほどの物語が、やはり五稜郭の戦いに向かって収斂して行くのだ。

 嵐を突き進むオランダ製の軍艦・開陽丸の勇姿が読了後にまで印象に残る。江差沖で引き揚げられた開陽丸の破片が、現在も江差港に浮かぶ復元された開陽丸(この船自体が博物館になっている)のなかで展示されている。黒い船体から天に伸びた帆柱の数々は、江差を訪れると輝かしい存在に見えるのだが、この帆柱が江戸を出港して間もなく遭遇した嵐によって実は早々と折れてしまっていたなどとは、ぼくはこの本を読むまで知らなかった。

 函館から松前に向かうと、寒々とした海岸が果てしもなく続く。そうした人も住まぬ荒れ野に、「古戦場」と記された看板が目立つ。函館の町なかにある一本木門には、土方歳三戦死の地があり、小公園の一角には手向けられた花が絶えない。

 多くの犠牲者たちを偲ぶ慟哭に満ちた降伏に終わる終章が、たまらなく感動的で悲しかった。幕末というのは奇麗事でもなんでもなく、腐肉を食らうようなハゲワシどもの戦いであった。その中で真のサムライから真の人間になろうとして投げ出された命の数々への賛美に満ちた、大変に美しい物語がここに確実にある。理性よりも感傷で読み、論理よりも心で打たれてしまう。佐々木譲という作家のすべてが賭けられた、紛れも無い最高傑作だろう。

 司馬遼太郎『燃えよ剣』・戸川幸夫『山嶽巨人伝』と3点セットで読むと、幕末という時代における物語の厚みが味わえるはずである。

(2001.09.03)
最終更新:2007年05月27日 20:46