最後の旋律





題名:最後の旋律
原題:Fiddlers (2005)
作者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:山本 博
発行:ハヤカワ・ミステリ 2006.5.31 初版
価格:\1,100



 本当に本当に、これが87分署シリーズ最後の作品なのか?

 軽妙洒脱なセリフの行間を味わう。意表を突く場面展開を味わう。刑事たち一人一人の登場シーンを、本当にこれが最後の彼らの登場シーンなのか? と自問しながら、じっくりと読み進む。

 キャレラの子供たちが成長し、まるでかつてのバーンズの息子みたいに薬物に手を伸ばすシーンがある。キャレラは年を取らなくても、子供たちは少しずつだが、シリーズの中で生まれ、そして成長してきたことを、今さらながら感じる。

 麻薬がらみの連続殺人事件が勃発する。高年齢層の被害者が次々と殺される。昔々に起源を持つ長い長い因縁の犯罪との疑いが持たれる。癌と闘いながらこれを書いたマクベインは作家自らが老境である。そんな老境の作家が書いた、高齢者犯罪の街。

 1956年から続いたこのシリーズは、まさしくマクベインが人生において、死ぬまで延々と書き続けた壮大な叙事詩である。ある時代時代を切り取り、世相を犯罪という形で風刺した。その中で、悩める等身大の刑事たちを、まさしく生かしてきた。

 そんな大河物語、アイソラのサーガが、今ここに終焉する。作家の人生とともに。半世紀を継続してきたこのシリーズは、作家の想像を超える9・11のような巨大テロをも過去に呑み込み、まさに世界史の一角としての都会史を構築した末に、永遠に消えようとしている。

 作家が来日の折にジョークで(?)言っていた。

「誰も書き続けられないように最終話を書いてある。そいつは金庫に閉まっておくので死後に開けてくれ」

 その言葉をぼくは永遠に忘れないだろう。最終話はもしかしたら、永遠に金庫の鍵とともに消失して読むことができないかもしれない。それでも最終話が世界のどこかに眠り続け、そこでキャレラが、マイヤーが、クリングが、ウィリスが、ホースが、アイリーンが、ブラウンが、パーカーが、ジェネロが、オリーが、モンローとモナハンが、テディが、他の作家の誰も書けない何か巨大な事件にぶつかっている姿を、想像し続けるだろう。

 永遠に87分署は読むことができない。しかし永遠に87分署の続き話を想像することはできる。終わっていない街の今後を見つめ、終わらない人間の愚かな歴史的リンクを感じ、犯罪や捜査がもたらす世界表現の形のあれこれを、どこまでも想像することはできる。

 多くの味のあるレギュラー刑事たちに、アイソラという救いようのない愚かな都会に、マクベインの遺影に浮かぶ優しげな眼差しに、ともあれ、本当に、さよなら! だ。

(2006/05/28)
最終更新:2007年05月27日 17:16