歌姫




題名:歌姫
原題:The Frumious Bandersnatch (2004)
作者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:山本 博
発行:ハヤカワ・ミステリ 2004.12.31 初版
価格:\1,300



 なんとシリーズ屈指の傑作『キングの身代金』以来の誘拐事件がアイソラの街に勃発する。キャレラにとっても誘拐事件はわずかに二度目の経験。誘拐は殺人や強盗に比べると、刑事たちが遭遇する確率が遥かに少ない事件であるみたいだ。ましてやこの事件は、船上で行われる新人歌手の新曲発表パーティのさなか、派手派手しく、メディアを巻き込んで行われる。それにしても誘拐モノとは、なぜこうも傑作揃いなのだろうか。

 アイソラ島は、あくまでマンハッタン島ではない架空の大都市だが、物語においてもニューヨークと同じく同じく9・19の悲劇を引きずっている。誘拐犯人グループがテロリストに属することを想定してFBIまでが捜査に乗り込んでくる。街の警察87分署の面々が、最先端技術を駆使するFBIの捜査と真っ向先取り勝負を繰り広げるあたりに、職人作家マクベインのサービス精神がびんびんと感じられる。

 マクベインは小噺が大好きである。タランティーノの映画などでよく用いられる、登場人物らのジョークに似たものを、マクベインは来日パーティの折にもいくらでも連発してみせたものだ。彼の87分署の進行は、だからいつも都会を形成する人々の会話を紡いで出来上がってゆく。刑事たちの聞き込み捜査のなかで、時には彼らは伴侶を見出して恋に落ちたりもする。バート・クリングもコットン・ホースも、88分署のでぶのオリーだって負けずにそれぞれのお目当ての彼女たちとの恋をそれぞれに器用に、あるいは不器用に進行させてゆく。

 ぎすぎすした犯人側の危険溢れる描写の合間を、多くのキャラクターたちの会話が豊かに埋めてゆく。そこにあるのは都会の活写である。そして豊かな遊び心。「登場人物が多すぎる小説は読めない」と作中で誰かに言わせたり、売れっ子作家を皮肉ったり、サスペンスは時間制限のあるものでなくては、と、自身や本書そのものへの多角的客観的な視線も忘れずにセリフとして入れ込んでしまうあたり、読者サービスも相当のものである。

 なかなか解決の糸口が見つからないまま事件はヒートアップしてゆく。最後の最後にきて、このシリーズがやはり只者ではないところを見せてしまうあたりもさすがである。甘さがない都会のドラマが、エヴァン・ハンターのリアリズムで生きてゆく。皮肉で救いのない犯罪者とその愚かさ。情緒などとは無縁に切り裂くような筆致で、マクベインは人間喜劇を無造作に切り取って見せる。

 ここ数年のシリーズ中、屈指の傑作であると思う。

(2005.01.24)
最終更新:2007年05月27日 17:13