悪戯(いたずら)





題名:悪戯(いたずら)
原題:Mischief (1993)
著者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:井上一夫
発行:ハヤカワ・ミステリ 1995.1.31 初版
価格:\1,300

 最近、同じ作者の『盗聴された情事』を田村隆一の巧い訳で読んだばかりなので、やはりいつも気になって仕方がない井上一夫訳は、どうも引っかかっていけない。日本語の基本をもう少し考えて訳してくれないと、手抜きで訳しているようにしか思えなくなってしまう。初期の<87分署>シリーズは次々と翻訳者が変わっていったし、固有名詞の統一を図るために彼らはみんなミーティングまで持ったはずなのだ。シリーズの価値が高いものになればなるほど本来はそうした姿勢を継続して貫くものであってほしかったが、もうこのシリーズはいつからか翻訳は井上一夫訳に統一されてしまっているようだし、本当にマクベイン・ファンとしては辛いところなのだ。

 しかし、そういう翻訳という障害をチャラにして余りあるくらい今度の作品は楽しめてしまったのだから、やはりマクベインは偉大だ。ヒギンズやパーカーにもぜひとも見習ってほしいものだ。ここのところ確かに印象に薄くなっていたこのシリーズだけど、やはりシリーズの基本に立ち戻って本来のリズムを取り戻したのは、明るいニュースだ。

 この作品では<87分署>宿命のライバル、悪の天才デフ・マン再登場。それだけでワクワクしてしまう上に、『夜と昼』に代表されるような多数の事件が同時多発するモジュラー型ミステリの形態を取っている。ほとんどのレギュラー刑事が総出演というのも最近絶えていたことなので嬉しいところ。やはりシリーズというのはこうしたメリハリが欲しいのだ、とつくづく思う。

 そして一つ一つの事件が、まさに現代の都市の病巣に根づいた非常に身近な問題であることも、<87分署>がずっと時代と密接に関わってきたシリーズとしての根幹に立ち戻っているように思える。キャラクターのサブストーリーも楽しみではあるけれど、やはり事件の同時代性や日常性というのはつくづく読者にとって魅力な要素になり得るのである。ひいてはそれらが刑事たちの捜査を通して巨大な街を描くという効果に直結していたりもする。

 思えば「街」という概念をいかに人間に関わらせ生き生きと描き出すかということが、ハードボイルドや警察小説の一つの課題であると言えそうだ。卑しい街を、人間たちの関わる活き活きした動脈として描くことで、時代そのもの、文明そのものへのいくつもの警鐘を響かせてゆくという効果は、ミステリのエンターテインメント性とは直接関わることがないにせよ、それだけで作品の腰の強さを証明しているような気がする。

 マクベインが来日したときに言っていた印象深いことの一つに、<87分署>には完結篇が用意されているというものがある。マクベインがなんらかの形でペンを置かざるを得ないときには、<87分署>の完結篇が世に出るための準備を整えてあるということだった。自らのシリーズに責任を持つ作家というのは、それなりに作品自体にも誠実さが現われているように思えてならない。

(1996.02.16)
最終更新:2007年05月27日 16:01