糧(かて)



題名:糧(かて)
原題:Bread (1974)
著者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:井上一夫
発行:ハヤカワ文庫HM 1987.07.15 1刷
価格:\460

 <87分署>も最初のうちは一年に3冊位のペースで快調に出版されていたものの、ここのところペースダウンしてきて年に一冊ペースでじっくり書いているようである。冬・夏・冬・夏と季節も交互に書き分けられている。アイソラの街は砂漠のようみ厳しい気候条件の下にあり、暑さも寒さもきわめて激しいようだ。そうした住みにくい地帯に、なぜこれほど雑多な人種が世界中から集まってきてしまったのかということを考えると、大変不思議な気もするのだが、モデルになったニューヨークという都会が現実にそうなってしまったのだから仕方ない。街は汚れゆき、時代は頽廃の度を深め、最近はこの都会も初期のころの作中表現のようなユーモラスな擬人化を施される機会がすっかり減ってしまった。

 いきなり手厳しい考えを言うようだが、<87分署>シリーズで一冊だけどうしても捨てねるような状況にあるとしたら、ぼくは間違いなくこの本を捨てると思う。これまで三十冊もの本シリーズを読み進めてきて、面白さの振幅はあっても、ぼくがけなしきった作品はなかったし、その通りにぼくはけっこう楽しんできた。作品のせいとばかりは一概に言えないのかもしれない。作品と出くわすときの読者の気分的な作用というのも、作品に対する印象に対し相当の影響を及ぼすとは思うのだが、とにかく本書は初めてつまらなく感じた一冊であった。

 全体にこれといった山がないのが最大の理由であるし、事件自体が金目当てのとても凝った貿易や火災保険にかかわるもので、このシリーズにぼくが求める簡易性、あるいは機動性といったものが損なわれているように見えるのだ。刑事たちの人情が血と銃弾の中を交錯するような華やかな画像を求めてこのシリーズに向かうのに、デスクワークに近いような単調な捜査活動を読まされてしまったというところか。

 オリー・ウィークスという83分署の刑事がゲスト出演し、けっこうアクの強い捜査を行なってゆくが、彼だってもっと生かしようによっては、楽しみな存在なのだ。シリーズに谷間がきてしまったことにぼくは少しばかりショックを受けている。

(1990.10.21)
最終更新:2007年05月27日 14:30