人形とキャレラ



題名:人形とキャレラ
原題:Doll (1965)
著者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:宇野輝雄
発行:ハヤカワ文庫HM 1980.04.15 1刷

 ブライアン・デ・パルマ風に、血の惨殺劇から本書は始まる。切り刻まれる母親の悲鳴を聞きながら、隣室で人形を抱え蹲る女の子。そしてこの人形こそが、本書の謎を解く鍵となり、そのことはそのままタイトルによって匂わされている。(原題は《Doll》)

 キャレラはつくづくついていない刑事だ。これまでに殺されかけて病院に重篤患者として担ぎ込まれたことが二度。ここでは残酷な監禁状態を強いられ、『死が二人を』の粗暴な女の相似形のような、またもサディスティックな変態美女に散々いたぶられることになる。背後には、麻薬。

 人形といえば、ぼくらの国ではリカちゃん人形。姉妹がいないのでぼくはあまり詳しくはないのだが、あの人形もいろいろなタイプにさま変わりした。もしかしたらこの本は、当時リカちゃん人形を集めていた女の子であれば、キャレラが人形から犯人を嗅ぎつけた方法(まさにこの点が謎なのである)をすぐに見破ることができるんじゃないだろうか。謎解きの段階に到達すれば、事件はあっけないほどに身近な仕かけということで終息してゆくのだ。

 この本では、クレアの悲劇以来性格が一変してしまったバート・クリングが、もう一方の主役を張る。キャレラの死の誤報に接したとき、作者は刑事たちの反応を個別に描く。ぼくはマイヤー刑事が公園でさめざめと一人泣くシーンを見て、この刑事のこと改めて好きになってしまった。悪徳刑事パーカーだってそんなときには人間的な反応を見せてしまう。そんななか、バート・クリングが最も過酷な境地に立たされることになるのだが、これは彼の試練だ。

 ここのところ<87分署>は、それがきわだった個性とも言えるのだが、一冊一冊がたいへんヒューマンな葛藤に満ちている。ぼくらはキャラクターたちに同情し、愛情や憎しみや当惑をともにしてしまうことになる。一冊を読み終えて本を閉じるときの感じ。何もないはずの空中に何かを見ているようなその時の読者の感覚。読後にあとに残るもの。その一瞬のためにこの種の本はあるのだとため息を吐く。

(1990.07.21)
最終更新:2007年05月27日 13:15