殺意の楔



題名:殺意の楔
原題:Killer's Wedge (1958)
著者:エド・マクベイン Ed McBain
訳者:井上一夫
発行:ハヤカワ文庫HM 1980.05.15 1刷

 前作に続いての、濃縮された時間が流れる短期決戦型ストーリーである。やはり丸一日のできごとである。おまけに二つのストーリーが並行して描かれている。この作品に限って言えば、一冊だけ単独で取り出しても相当のレベルにあるサスペンス小説だと思う。それほど面白い。ちなみにぼくは夜更かしして一日で読んでしまった。

刑事部屋に銃とニトロを持ち込んで女が立て籠る一日。亭主が刑務所で死んだ恨みを、検挙者のキャレラ刑事に向けている。キャレラを殺すことで無念を晴らそうというのだ。ところがキャレラは、一方で起こった密室殺人に取り組んでいる。二つの場所で物語が進行してゆく。

 こう短く書いただけで、大抵の人にはその迫真のスリルやサスペンスが伝わろうかと思う。しかしこんなスリリングなプロットだって、下手に語られてしまえばいくらでも救いのないものになり得るだろう。ところが職人エド・マクベインはこれを最高の高さに持ってゆく書き手である。面白い設定を確かに面白く最後まで語り切る。あたりまえのようでいて困難だ。完成度の高い本は世の中にそう沢山転がっているというわけではない。

 作者がスリルやサスペンスの楽しみ方、楽しませ方をよく知っているということなのだろう。昔よく読んだ山田正紀の作品からもよく受ける感覚だが、作者が作品の面白さを娯しんで書いているということがよくわかる。そしてその種の作品は、それなりに凝っていることが多い。読者に取ってみても、そういう場合にはけっこう美味しい作品になっているということなのだ。

(1990.04.26)
最終更新:2007年05月27日 12:31