兇眼
作者:打海文三
発行:徳間書店 1996.11.30 初版
価格:\1,600
アーバン・リサーチのシリーズではある。このシリーズの特徴をここにきてようやく掴めてきた。要するにシリーズと言っても、常にゲストの個性がレギュラー陣と変わらぬ優遇を得るということだ。この主役を置かない複数主人公という設定になるシリーズにおいては、ゲストとは言え毎度、レギュラー以上の個性とロマンを与えられることになるのだ。
だからレギュラーを張るということは、逆にゲストの、過激と言えるほどの個性と常にバランスを取れるくらいの存在感を示さねば苦しいと言えるほどの打海世界なのである。鈴木ウネ子然り、佐竹然りである。
作者はかようにも自ら造形したキャラクターを愛し、棄てることができない。前作
『されど修羅ゆく君は』では探偵を辞めたと語られる佐竹が、本書ではアドバイザーのような役割できちんとウネ子と行動をともにしている。説明も釈明もないのに、平然と、というあたりが打海らしい。
本書では兇眼の持ち主である武井の造形が見事。本書一作で使い捨てとは思えないくらいのキャラであるが、本書の事件を題材にするためには過去へのこだわり、過去の傷、スキャンダルといった負の要素が相応に必要とされたのかもしれない。
およそあり得ないような事件をミステリーの形に整えて大法螺を吹いて見せるやり口は、いつもの通り。おかしい、作者のご都合主義もはなはだしいと思えるストーリーでありながら、その強引さに思わず身を委ねてしまう語り口。スピーディで常に先を急ぐような展開。それでいて保持している独特の間合い。
そうした個性的な筆致に支えられて、本書でもなぜか作者のこだわりのあるらしい世代十代の純潔と屈折にテーマが絞られる。常に重く、暴走する年齢。作者がこのあたりに強いこだわりを持っていることが数作よんでくるうちにはっきりしてきている。
放り出すような過酷な決着。解決とも言えない終幕。独特の余韻と、独特の人物活写が読者を、アンバランスな静止空間に放り出すやり口はこれまでといささかも変わっていなかった。予断を許さぬストーリー。毎作ごとに新たな人物に会える予感が、読書という趣味の豊かさを支える。珍しい作風である。
最終更新:2007年01月13日 03:05