虹の谷の五月



題名:虹の谷の五月
作者:船戸与一
発行:集英社 2000.5.30 初版
価格:\1900

 フィリピン/セブ島。フィリピンと日本の混血少年(ジャピーノと呼ばれる)を主人公に、彼の13歳から15歳への成長の三年を、三部形式しかもすべて五月の出来事だけで綴られた物語。文明に取り残されたような村でありながら、現在の世界時間に組み込まれているがために、血と暴力の数々がこんな小村にも呼び込まれてしまう。

 リアルタイムの2000年5月で幕を閉じ、出版が5月、というのは読者としてはこのうえない好企画。でもそれが、その完全主義こそが船戸なのかもしれない。

 ここのところ日本を舞台にした小説の数作によって、新しい船戸世界の構築に作家自らが苦しんでいるようなところが見え隠れしていたように思えたところがあるが、政情不安定な海外の小国で、銃やゲリラが登場するとなると、やはり死と戦いの世界は船戸の独壇場だとつくづく実感される。

 船戸という作家は今も変わらずぼくの中で日本冒険小説作家の王者であることをやめていない。彼の物語は常に冒険を描き、それでいて若者の成長の記録であり、世代交代の物語であり、音楽的なリズムを思わせる小気味のいい文体、そしてキャラクターを取り巻く社会=小宇宙の大きな自然的営為のうちに展開している。

 だれよりも安心して物語に身を委ねられる作家であり、その作品を読んでいる間、何とも心地よくその異質な世界の空気に浸ることができる。

 ただただラストシーンに向かって積み上げられゆくディテール。時間軸に沿って聳立してゆく壮大なドラマ。日本人のスケールを軽く超えた世界への驚くべき理解と貪欲。

 子どもの一人称で語られる物語なのだが、「おいら」から「おれ」に変わってゆくあたり、他でも文体自身に徐々に成長が表現されてゆくデリカシーだってある。船戸作品には珍しく、希望や誇りを感じさせる美しさが終章を彩る。そして大人になってゆくことへの切なさ。何よりも若い生命の雄々しさや躍動を。

 船戸のスパルタ式少年小説の中に、今どきの日本の少年たちを襲っているストレスからの出口がどことなく見えてこないものかとも思うのだが。

(2000.06.17)
最終更新:2007年05月27日 03:00