降臨の群れ



題名:降臨の群れ
作者:船戸与一
発行:集英社 2004.6.30 初版
価格:\1,900

 船戸与一にいよいよ飽きが来たのかな、と自問するのは、最近彼の新作が出ると、全作完読する読者であるぼくとしては、とりあえず購入までは躊躇わないのだが、すぐに読もうという気が起こらないからなのだ。

 ある意味で、彼の作品は舞台装置が変わっても、その作品がある程度想像しやすいということが、そのひとつの理由にもなっていると思う。紛争のある国際舞台のどこかで、宗教や民族の長く血塗られた歴史の果てに、現代もなお、欲望と憎悪と復讐にうずく一群のキャラクターたちが、血と硝煙の宴を繰り広げるというものである。

 その予測は大抵の場合、裏切られることがなく、またどれも水準以上の面白さを保っているのだから、ある意味でとても信頼に値するのが船戸ブランドなのだと言えると思う。だが、しかし……

 そう、いつも同じように大同小異な物語で、解決のない国際情勢のなすがままに悲劇は執り行われ、我が主人公らである生贄の山羊たちは最悪のカタストロフのなかで、身悶え、血を噴き死んでゆく。恩讐の果ての皆殺しの荒野があるばかりだ。そして船戸の世界を救うのはいつも、荒野に散逸した屍を見下ろす、遺されたこどもたちのたくましさだ。

 小説の中で、彼らのキャラクターたちは徐々に変貌を遂げる。いつの間にか目つきが鋭くなり、甘かった表情が戦士の厳しさに取り変わってゆく。状況が人間を変え、人間らはその中で、人生を目的のために生き、そして死んでゆかねばならない、といわんばかりの、それは物語が彼らに与える試練としての変化である。

 本書は、そうした船戸ブランドの公式をいささかも裏切らない。舞台設定は、本書ではインドネシア。2002年のバリ島のディスコに仕掛けられら大規模テロとシンクロさせ、イスラム革命とプロテスタント居住者たちとの凄まじい激突を題材に、暗躍する武器商人、華人ホテル経営者、アルカイダ出身のテロリスト、インドネシア軍情報部員、アルカイダを標的にするCIAといったプロフェッショナルたちの思惑のぶつかり合いが、アンボン島を地獄に変えてゆく絵図を展開してゆく。

 狂言回しである日本人、引退を間近にした笹沢浩平60歳。養殖海老の技術指導者である彼が引きずり込まれる騒動は、遠く離れた島インドネシアと日本人との関わりの在りようを示唆する何かであり、著者の小説というかたちでのメッセージである。あるいは小説と読者とを繋ぐ日本人という名のキーワード。そして何よりも中立地帯を形成する日本人の無宗教ぶりであったりもする。

 主だった四人の葛藤を交互に描きながら、大変スピーディな展開で、手に汗握る物語が疾駆する。娯楽小説としての醍醐味を崩さない本書は、船戸のテンポに満ち溢れている。船戸の舞台の向うの取材の強かさに圧倒されながら、青い空、深い海、信天翁(あほうどり)があうぅあうぅと啼く港、突然湧き起こるスコールの黒雲、食虫植物とコモド竜のいる山の洞窟から掘り当てる日本軍の99式小銃……船戸的道具立てをじっくり味わうひとときは確かに重厚で味わい深い。

 昨2005年10月バリ島での連続爆破テロは未だ記憶に新しいが、インドネシアは現在も火薬庫であり続ける。近くて遠い国が、C4爆薬の憎悪を抱えたまま、アジアにまだまだたっぷり存在する限り、船戸の旅は未だ未だ終わらないということなのだろう。

(2006/02/12)
最終更新:2007年05月27日 02:35