河畔に標なく



題名:河畔に標なく
作者:船戸与一
発行:集英社 2006.03.30 初版
価格:\1,900

 船戸与一といえば、真っ先にアメリカ大陸に材を取る作家との印象が強かった。南米三部作と呼ばれたのは『山猫の夏』『神話の果て』『伝説なき地』だった。どれもが最も脂の乗り切った時期の作品と言えた。

 北米を舞台にしたものもたっぷりある。『非合法員』に始まり、『夜のオデッセイア』『炎流れる彼方』『蟹喰い猿フーガ』など、娯楽要素に満ち溢れた傑作が今もなお印象的である。

 前述の、脂の乗り切ったという言い方には、実は語弊がある。船戸の類い稀、かつ旺盛な作家活動の履歴を、今振り返ってみても、息抜きはどこにも見られないし、そのいずれの時期にも、旬と言える作品を、ある一定の気圧で世に噴出させてきたことは、きっと誰が見ても間違いないからだ。

 日本で冒険小説という言葉が産声を挙げた時代、船戸は最も注目された作家であり、日本の冒険小説生成史のなかで、『山猫の夏』や『猛きは小船』はそのピークとして今も必ずや数えられる作品として刻まれていることは確かである。

 今も、同じレベルを保ちつつ書き続ける船戸であるからこそ、その後も『砂のクロニクル』『虹の谷の五月』など、段階的に、山本周五郎賞、直木賞といった大賞を射止めており、読者にブランクを与えることなく、今をとどめている。

 そうした船戸だが、最近では東南アジアにどっぷりである。『虹の谷の五月』でフィリピンを描いて以来、一時、極東地域に材を移したとはいえ(『三都物語』『金門島流離譚』)、ここのところ続けざまに、カンボジア(『夢は荒地を』)、インドネシア(『降臨の群れ』)、ベトナム(『蝶舞う館』)と来て、そしてさらに本書『河畔に標なく』では、ミャンマーに材を取ることになる。

 ミャンマーといえば、ぼくの年代ではビルマといった方が馴染みがあるのだが、日本での不法就労者関連ニュースでも、タイやフィリピンに継いで、結構登場頻度が多い印象がある。

 さて、そのミャンマーにも、やはり船戸与一の求めてやまない素材であるところの少数民族はやはり存在する。カチン州という国境地帯がまさにその舞台で、しかも政府とは8年に渡って平和協定を結んでいるという。しかし、そこには複数の言語の違う民族が、ゲリラ組織を今も保っているといういつもながらの図式が、やはり存在するのだ。

 しかし、そのゲリラたちも、次世代の若者たちが次第にビルマ人に同化させられてゆくなど、歴史の持つ曖昧な融解現象として、民族問題は、戦闘から停戦、妥協、諦念へと繋がって消えようとしてゆく。そうした民族の滅びへの公式、国家の曖昧を、しっかりと照準に捉えて、船戸の銃弾は、イラワジ河の源流地帯であるカチン州を舞台に風穴をあけようと飛来してゆくのだ。

 船戸は五人のそれぞれ民族も立場も異なる人間の眼差しを例によってキルトのように切り貼りして、大河に纏わる叙事詩をいつもながらに、ドラマチックに紡いでみせる。

 五人とは……。カチン州に魅せられた日本人ビジネスマン。カチン独立軍大尉。中国系犯罪組織の一員。ビルマ政府役人である刑務所副所長。そして英国留学経験を持つ中華系文化人。

 それぞれの破滅的な物語が、河を遡行し、国境地帯でまみえることによって、国の政治的力、民族の多彩な方向性、滅び去っていった前の独立戦争の終焉。時代の愚かさとはかなさと無常をたっぷりと湛えつつ、水流は清冽にこの国を下流へと流し去ってゆく。

 巻置くあたわずの面白さは例によって例の如し。人間たちの業の深さ、欲望の愚かさ、迷妄の果ての虚ろと絶望……悲喜劇に巻き込まれてゆく男たちによる、道なきロードノベルの傑作がまた一つここに加わった。

(2006/04/09)
最終更新:2007年05月27日 02:32