アンダーグラウンド



題名:アンダーグラウンド
作者:村上春樹
発行:講談社 1997年 3月20日 第1刷発行
価格:\2575(本体 \2500)

 村上春樹という作家は、非常に個人的なものにのみ関心を示してきた作家であったと思う。死、虚無、孤独、性……そういったものが、彼の中でひとたび神話化され、フィクションという形をとってわれわれに、その素晴らしく快適な文章力で表現されてゆく。こういうのが村上作品であると思ってきた。

 基本的には彼のスタンスは今も変わってはいないし、『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』も『アンダーグラウンド』も、死という虚無を常に傍らに引き連れている《瀬戸際の日常》という意味では、何ら違いはない。『心臓を貫かれて』は村上春樹の翻訳作品ではあるけれど、これだって死や幽霊と隣り合わせの非日常的なものと日常とのめくるめくような入れ代わりの歴史のようにだって思える。

 日頃日常生活と我々が呼んでいるものが、いかに容易に真反対の価値観にすり替えられてしまうものか、そのきっかけはどういうところにあるのか、この世の中のそうしたいっぱいの矛盾はどこからやってきたものなのか? そういうものを我々は虚無とか幽霊とかいう形で、常に傍らに引き連れて歩いていかなくてはならないのか? 

 村上春樹という作家が一生涯かけて表現しようとしているもの、またしてきたものをこんなに簡単な一パラグラフでまとめるのは大変失礼な話だとは思うけれど、ぼくはぼくなりに村上春樹的な危ういバランス感覚を、永い年月、こうして作品を通して味わってきたのである。

 そしてこの『アンダーグラウンド』。ぼくは滅多に地下鉄に乗ることはないのだけれど、この問題の一日を、本郷で過ごしていた。本郷三丁目の駅を通って通勤してきた女子社員がなんだか具合が悪いと言ったが、それがサリンの影響なのかそうでなかったのかついにわからずじまいだった。とにかくそういう多くの人間たちのすぐそこにまで、強力な死の片手が迫ってきていたのは事実だった。それをぼくたちはどう受け止めてよいのか、よくわからず、仕事中にも関らず、テレビ画面から情報を得ようと必至に努めては、各自家に電話をかけて無事を知らせていた。目に見えないところで、どういう悪意が世界を覆っているのか、ぼくらにはとうてい判断がつかなかったが、悪意の存在だけがマスメディアを通して感じられた。

 オウム自体はどちらかと言えば強烈な憎しみの対象にはなり得ず、むしろ社会の廃棄物のように扱われてい、ぼくら自体もあまり相手にしたがらなかったと思う。

(1997.05.24)

 この本の感想を一度長々しく書いたのだが、ある一瞬の手違いによって、それは電子の藻屑となって消えてしまった。その時点で再度パソコンに向かうだけの気力が、ぼくにはなかった。それほど精根込めて書いたつもりの一文でもあった。この本の感想が遅れに遅れて今頃になったのは、極めて個人的なそうした理由だったのだ。

 当時、ぼくは急な転勤で、関東から札幌に移ったばかりだった。新しい住まいに生活のすべてを移し、新しい部屋の新しい場所に凭れてこの分厚い本を読んでいた。残業が続いたから、夜、寝る前のわずかな時間を自分のものとして、一週間ほどかけて読んだ本であった。

 『心臓を貫かれて』の直後に読んだ本であったに違いない。二冊の本を通じて、村上春樹が突然社会の現実と深く関り合い始めたことを知った。『ねじまき鳥クロニクル』で既に現代史と関わり始めていたのも確かであり、そのあたりで、作者の一種奇妙な路線変更を感じてはいた。しかしいきなり生臭い現実に、こうまで真っ向から仕掛けてくるとは、村上春樹の読者のほとんどは予想もできなかったのではないか。

 本当にこの本に書かれていることは生臭い現実なのだ。ぼくらのすぐ隣で湯気を立てているような当たり前の日常が、若い宗教集団によって踏みにじられたある朝の現実。あの事件の朝、ぼくの会社のビルはまだ本郷三丁目駅の近所にあって、所員のほとんどが地下鉄丸の内線を利用していたし、ぼくらは窓からいくつもの救急車のサイレンを耳にして不安だった。あの朝の不可解な騒然とした時刻のことは、なかなか忘れることができない。

 朝の騒然とした界隈の様子に、誰ともなく休憩室にあるテレビをつけ、毒ガスが撒かれたらしいとか、犯人はオウムらしい、とか噂し合っていた。同じ事務所のある女の子は、地下鉄丸の内線本郷三丁目の駅を事件の前後に降りていて、少し気分の悪さを訴えていた。また、他の多くの所員も自宅に電話で自分の無事を報告していた。

 あの朝、突如サリンを吸引してしまった人々、そのまわりにいた人々の様々な生の声が、この本いっぱいに収録されている。村上春樹という生と死の局面に非常に関心の高い作家としてのフィルターを通った文体、しかもすべての発言に発言者の検閲が何重にもかけられ、最終的に承諾を得た形でまさに「公開」された、多くの日常とその破綻。

 今、札幌にいるぼくからはいささか遠くなってしまったあの朝の時間と、ぼくの働いていたあの老朽化した事務所ビル。今でも上京すれば必ずよく歩き、必ず飲みに立ち寄る本郷界隈と、その地下を走り抜けた戦後最大級の悪意。都市とその地下についてこれほど多岐に渡ってえぐり出した事件は他に例を見ないだろうし、これを作家的視点からここまで徹底追跡した、一冊の本のための労力も、これまたなんと形容していいのだろうか。

 昨年の我が読書体験のうち極めて重要な一冊となった。

(1998.01.11)