エンプティー・チェア


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題名:エンプティー・チェア
原題:The Empty Chair (2000)
作者:Jeffery Deaver
訳者:池田真紀子
発行:文藝春秋 2001.10.15 初版
価格:\1857

 一作おきのリンカーン・ライム・シリーズ。さすがに第三弾ともなると、少しシリーズの形式を変えてこざるを得ないかとの印象。何せ、間に『悪魔の涙』を挟んでずっと一定の面白度レベルを保って来たのだから。何せ、そのそれぞれの作中で豊富なアイディアを枯渇させる気配もなく、フルスロットルで爆走させる燃料に使ってきたのだから。

 だから少しだけ設定を変えるのだ。大抵の他のシリーズ作品と同様に。まずは場所を変える。状況を変える。いろいろなものを変えてみる。それがシリーズもののサバイバルの道であり、読者への媚薬ではある。

 しかし、ぼくはそれをやるのには少しまだ物足りなく感じざるを得ないなと思った。動くことのできないライムが、治療を求めてノース・カロライナの大湿原地帯を訪れる。そこで巻き込まれるのは奇妙な事件。逃げている殺人犯の少年。追跡の手伝いをするライムたち。銃を磨くアメリア・サックス。

 これ以上ないというような人里離れた自然の中を、女性をさらい、逃げている少年。『眠れぬイブの夜に』『静寂の叫び』の頃のディーヴァーの匂いがする。原始的で基本的。リンカーン・ライムのシリーズらしくはないなと感じるいろいろなもの。サックスとの知能対決は確かに魅力的かもしれないシーンではあるが、ほんの一部だ。

 ラストのどんでん返しに至ってはぼくはやり過ぎだと思う。面白いとは思う。ハリウッド映画をやり過ぎと感じるようにぼくはこれはやり過ぎだと思う。リンカーン・ライム・シリーズはもともとハリウッド映画仕様ではないかとも確かに思う。それでも、やはり最後の最後までこれはやり過ぎだと思う。人間の尊厳というものを感じさせない。将棋の駒のように人を使う。トリックの仕掛け罠として人間を配置する。人は見かけ通りではないという事実についても、表現の手段はいろいろあると思う。しかし、ただ娯楽のために、玩具のようにキャラを使う小説というのは、ぼくは最終的には好きになれないというだけの話だ。

(2001.11.11)
最終更新:2007年05月13日 13:21